すふぉるつぁんど

主に魔法少女育成計画について書き残していくブログです。基本的に生き残り魔法少女は全員熱烈に応援しています。平気でネタバレをやります。

プフレ(人小路庚江)という化物 -restart-

 

 魔法のお嬢様プフレ。

 個性的で魅力的な魔法少女達がごんごん生産され続ける魔法少女育成計画でも、特に珍しい性質・立ち位置の魔法少女です。ひょっとしてピティ・フレデリカの次に好き嫌いが分かれるキャラクターなのではないでしょうか。

 

 その登場頻度は初登場『魔法少女育成計画restart』から、この記事を更新した時間では最新刊にあたる『魔法少女育成計画ACES』まで皆勤賞という恐るべきもの。まほいくシリーズについて述べるにあたって、この魔法少女を抜いては語れないと言っても過言ではないと思います。

 

 まほいくシリーズ全体について何かを言うにはまだまだ個別に記事を書きたい魔法少女がたくさんいるため後回しにするとして、自分が感じている彼女の魅力について少し書きます。

 

 

魔法少女育成計画restartでのプフレ

 初登場巻ですね。

「包帯を巻き、眼帯を付けた車椅子のお嬢様」という怪我だらけのコスチュームでもって登場します。包帯はお付きの魔法少女・シャドウゲールに巻いてもらった模様で正規のコスチュームには含まれていません(腕と首の包帯がないことはACES立ち絵で確認できます)

  弱弱しい外見とは裏腹に、その精神は異様に逞しいものです。人を見る目に優れ、顔を見ただけでその人となりを判別し、いいように動かしてしまう。

 

 彼女は目的のためなら手段を躊躇わない性格である上に、身内以外の他人のことをミジンコ程度にしか思っておらず、平気で使い捨てる等、正統派魔法少女なら眉を顰めるような行為を平然と行います。

 貧弱な魔法・身体能力を持つ自分を「戦わない魔法少女」だと嘯きつつも、「魔法少女育成計画」というデスゲームを先導していきます。

 魔法少女達のリーダーとしてふるまい、確実に人死にが出るような粗悪な作戦を意図的に決行し、結果として犠牲者を出すことも。きっと魔王ですね。

 

 プフレは基本的に冷静で(異様に)頭が切れるので、restart中の頭脳労働を一手に引き受けているところがあります。魔法少女といえば一般的には魔法が武器となるものですが、プフレの場合は彼女の持ち前の頭脳こそが武器と言えるでしょう。

 

 

 そんなプフレの人間体は、「町内一つ分が丸々お屋敷」だという作中随一、超弩級の名家、人小路家の長女・人小路庚江。歳は推定高校二年生高校一年生です。兄が一人います。恐らくは人小路に関係なく、個人的なFXをやっているので庚江自身がお金持ちです。

 人小路庚江は作中で明確に描写された美少女であり、学業・スポーツ共々全国トップクラス。性格を除けば、非の打ちどころのないスーパー完璧お嬢様です。いや性格も素晴らしいですけど。

 

 行動を共にする魔法少女「シャドウゲール」の人間体・魚山護とは物心つく頃から生活を共にする主従関係にあり、護は性格の悪い主人をもって日々苦労している様子。

 護の状態でも部屋を乗っ取られたり顔に落書きをされたりと酷い目にあっているのに、シャドウゲールとなればより一層の酷使にあっているようです。護は苦労人です。

 

 

 そんなプフレお嬢様ですが、対して「身内を大切にする」事に関しては一切ブレません。

 パーティを組んで短時間の魔法少女、マスクド・ワンダーが殺害された時は静かに激怒し、魚山護が高校で陰口の対象となった際には陰口を言った少女達にトラウマを焼き付けました。何したんだろう。

 日々の魔法少女活動の結果、家に賊が大挙して押し寄せる事件が起きた際も、家のものには危険が及ばないようにきちんと手を打っています。

 

 

 もう一つブレないことがあります。それはプフレ/庚江にとって「魚山護さえいればいい」ということ。彼女が行うことの大半は護のために行われたことです。嘘です。嘘でもないですね。

 restartのデスゲームでの彼女の第一目標は「魚山護の生存」。終盤においては、最悪自分を含む14人の魔法少女全員を滅ぼしてでも、護をゲーム世界から脱出させるつもりでいたようです。

 

 その、護さえいればいいという彼女の行動原理ともいえる思考回路は、しかし滅多なことでは表面化しません。超人として振る舞おうとする彼女が滅多と見せようとしない、「人間」人小路庚江を形作る根幹のひとつです。

 護の命が助かるのなら、百人の魔法少女をも殺し切ってみせる、そこまでの感情がプフレの中には宿っています。

 

  少し話からはみ出ますが、その精神自体は「restart」から「ACES」に至るまで一切変化することがありません。常に弛まず、護の安全を第一に、護(と、できれば身内)以外の全てを犠牲にすることを厭わず活動しています。

 シリーズが進むごとに段々と手口及び犠牲の規模が激化している件については、別の記事で書きたい。

 

 

 この決してブレない一本筋の通ったキャラクター背景自体が自分の好みど真ん中にあるのですが、それに加えて。

 普段は様々な演技、芝居でもって本性を覆い隠している彼女から、時に人間らしさや、護への苛烈な思い、配慮などがちらつくこともまた、プフレ/庚江の魅力だと感じています。

  つまりは平常との段差。落差。ねじれです。ギャップ萌えにあたるんでしょうか。

 

 

 怪我人めいたお嬢様が、頭の切れる腹黒で老獪な少女であること。

 脳内では常に論理的な思考を展開しているのかと思いきや、決断の由来は直観的なものであるらしいこと。

 人を人とも思わないようなクズが、ただ一人を至上の存在として見做していること。

 主人を守ることを名に冠して生まれた従者を、その主人が何に変えても守ろうとすること。

 完璧に自信に裏打ちされたかのような態度をとっていながら、内心では理解不能の事態に戸惑っていること。

 護への好意を一切伝えようとしていなかったのに、シャドウゲールが百人を殺したプフレを見て怯えたことにショックを受け、悲しんでいたこと。

 普段は妙に年経た口調で調子よく会話を回すものの、護と二人きりの時は若干その角が取れ、時折少女らしい言葉遣いが飛び出すこと。

 弱弱しい見た目をしていながら、実際のところはシャドウゲールよりも身体能力が高いこと。

 なによりも大切な存在を、虐め、からかい、人としての権利を無視し、悪戯の対象にすること。 

 それら全てが魅力です。

 

 この「人間味が見えるときが楽しい」という魅力を生むためには、普段のプフレ/庚江を超人として書かねばならないわけですが、それを可能としている遠藤先生の描写力はただただすさまじいことです。

 プフレ視点の描写はrestart中では一切存在しないにも関わらず、最終盤で彼女の本心を知った後に読み返せば、なるほどと察せる部分も多くあり、何度読んでも楽しいrestartです。人間味のある庚江についての余談ですが、庚江が疲れていたり弱っていたりする時は、大体護にちょっと性質の悪いちょっかいをかけているので、それを意識しつつrestartを読むと自分の脳内が非常に楽しいことになりました。

 

 

 というわけでrestartのプフレについてざっくり振り返りました。次回以降の記事ではlimitedプフレ、の前に、restartシャドウゲールについて残しておこうと思います。100人試験の二人についてもいつか書きたい。