すふぉるつぁんど

主に遠藤浅蜊著「魔法少女育成計画」シリーズについて書き残していくブログです。

コミカライズ最終話感想

今日は最終話。

 

記事のタイトル、無印コミカライズとしておけばよかったですね。本日、4月26日、めでたく魔法少女育成計画restartのコミカライズがスタートです。

いやー読んでの感想はとてもたくさんあるんですけど、まだとりあえず胸にしまっておきましょう。いろいろ言いたいことをすぐブログに書くとのちのち後悔すると言うのは定説です。

 

兎にも角にも、本当におめでとうございます。無印と同じ11話だとしても1年。それよりもっと長いなら1年以上、毎月restart魔法少女の摂取が出来るという喜びに胸がいっぱいです。原作通りに流れてくれ~って思いはあんまりないので、楽しく読めるならそれが一番いいなぁ。

 

 

というわけで今日は楽しく読んでましたところの無印コミカライズ感想が終わります。最終話はかなり流れとしては原作に近いので言いたいところをメインにさっくり。

 

前話感想:

mgrp.hatenablog.com

 

 

EPISODE:11感想

「どうしてみんな死ななければならないの?」というスノーホワイトの叫びに、「スノーホワイトが弱いからみんな死んだんだぽん」と言い切るファヴ。

スノーホワイトが弱いことを遠因として死んだ……ようにファヴが言う魔法少女達は花に埋もれ、眼に黒い布がかけられています。ここのコマも好きだなあ。言ってることはともかくとして。

そういえばここでマジカロイド44を殺したのがハードゴア・アリスだと明言されてましたね。

 

 

「もし君が強かったら運命は全て変わっていたのかもね」という言葉が、まさしくコミカライズ版スノーホワイトのその後の在り方を変えたのかもしれません。

それはともかくとして、ファヴの心の声を聞き取ったスノーホワイトはこのデスゲームの真の黒幕を知り、怒りと共に魔法の端末をぶち壊します。

 

 

うわあスノーホワイトさん魔法の端末壊しちゃったよ……。

このコミカライズ世界では一応、魔法の端末がないと変身できない筈なので(それを一番身をもって知っているのがスノーホワイト)、このときのスノーホワイトには、自分はもう二度と魔法少女に戻れなくなってもいいから何が何でもファヴを滅ぼすという強い意思があったのでしょうか。そういう感じでしょうきっと。

 

ちなみに変身機構がリンクしてる魔法の端末、魔法の端末が無ければ変身はできないことに対して魔法の端末が無くても変身解除はできるという謎使用になっております。

こういうどうにもご都合的なのは自分はあんまり好きじゃないですけど、まあとりたてて困るような話でもないのでまあ。

 

 

 

そしてスイムスイムVSリップル戦。雨の降るダム近くという背景は原作と同一。御意見無用マントを羽織るリップルの眼は完全に据わっています。

いいなあ格好いいなあ。ほとんど会話の無いままに、スピーディに進む最終決戦。刀を捨てたと見せかけてスイムスイムに差し向けるリップルは物知りみっちゃん戦を少し思い出します。

リップルが御意見無用マントだけではなく安産祈願のお守りを提げてるのはコミカライズオリジナルかな。

 

「私の全てをかけてスイムスイムを殺す!!」に、こう、「私」の無かったコミカライズリップルが色々な局面を経て辿り着いたのがこんなところかあと悲しくなるような、そんな気持ちになります。

 

 

コスモスの中に倒れ込むリップルリップルに屠られたスイムスイムの最期の言葉は「ママ…」という呟きで、この「母親を思う坂凪綾名」という要素は最後の最後まで出てこなかったものなのでかなり驚きです。

スイムスイムに「ルーラになれなかったこと」以外を悔やむ心が存在していたのか。

 

やはり1話の感情的なスイムスイムや、ルーラ個人に執着していたスイムスイムの姿を通して見るに、コミカライズ版のスイムスイムは原作よりももっとずっと狂気の度合いの低い子供だったのかもしれません。世話焼きのルーラに母親を見ていたのかも……というのは、少し穿って見すぎですけど。

 

 

「ママ…」という呟きは、リップルにとってはごく自然にトップスピードと、生まれてこなかったトップスピードの子供を思わせるもので。何とも言い難い舌打ちと共に復讐を達成したリップルは、ここで一度意識を喪失します。

 

瀕死の状態で気絶して、ここでもリップルの姿は華乃に戻っていないので、やはりコミカライズ世界では気絶しても魔法少女の姿を維持していると考えたほうがいいのかな。

前話との整合性が全く取れていないことについては、えーと、その、無印コミカライズの大きな失点としてしまってもいいと思います。流石に。

 

 

 

ここから怒涛のスノーホワイトのターン。

思い返してみればコミカライズ版のスノーホワイトは、最初から最後まで泣きそうな顔をしてばかりの魔法少女でした。作中で「魔法少女」の存在に疑念を持っていたり、デスレースに怯えていなかったシーンなんてねむりんとの回想の数コマだけで。

 

その自分自身について、「私が弱いせいで みんな みんな死んだ…」「魔法少女だったのは姿だけで…」と言い募っていくスノーホワイト

そのスノーホワイトが、初めて本当に、正真正銘に、自分が抱いていた「みんなを幸せにする魔法少女になりたい」という夢に向き合い、その瞬間にかつて同じ夢を抱いていたリップルが蘇ります。

 

 

ありがとうございました。読んでよかったコミカライズ。コミカライズ世界の、コミカライズ解釈のスノーホワイトが、本物の、そして強い魔法少女になるまでの過程がこの2巻だったのかー。

そういう流れとして、原作のじくじくと煮えるような怒りによるラストシーンではなく、スノーホワイト力強く選択肢を選び取った故の爽やかなラストシーンになるのですね。

 

きっとこの世界のスノーホワイトには、「選びそこなう」ことの堆積に押し潰されていくような未来は待っていないでしょう。このシーンで完全燃焼してるし(とても伝わりづらい言葉)。

 

 

「トップスピードを笑うな」という、最後の最後までトップスピード一辺倒だったリップルの言葉が「トップスピードを… 魔法少女(わたしたち)を馬鹿にするな…」と切り替わっていたことについては、

「みんなを幸せにする魔法少女になる」という「スノーホワイトの願いに呼応して起き上がったリップル」が、トップスピードが教えてくれた魔法少女の在り方を守ろうとしてることの所作なのかなあ。

 

魔法少女でなくていいと言ってただの殺人者に成り下がったリップルも、「それまで魔法少女ではなかった」スノーホワイトの強い思いが作用して魔法少女に戻れたのかな、「スノーホワイトが力を求めた時に吹き返した命」だしなあ。殺人者としての命は終えたと言うことかな。うむむこの辺りはまだ考えがはっきりまとまっていません。

 

原作のトップスピードにしか視界が開けていない怒りに怒ってるリップルも好きだし、もう少し精神的に余裕があって、少し広い視線でものを見ているコミカライズリップルも好きです。

 

 

 

というわけで全ては終息しまして、最後の大きな改変について。ラストのエピローグ、スノーホワイトが国外進出するシーン、なんとファヴを滅ぼした「数か月後」の話なんですよね。原作だと丸二年経ってるところを数ヶ月。

多分恐らく、この世界ではスノーホワイトさんはフレデリカさんにまだ目を付けられていません。これからも付けられないかもしれない。

 

 

魔法少女」になったスノーホワイトの最終的なアンサー、それは「誰かの望みではなく」「自分の望みのために魔法少女であることを選ぶ」というもの。

これは明らかに意図してハードゴア・アリスのために、自分自身は魔法少女ではないと思いながら魔法少女をしていた原作スノーホワイトと対にしてると思います。二重で「誰かの願いのために生きるくらいなら」「自分の望みのために死ぬ」という殺人者リップルとも対になっている。

 

魔法少女の姿をしていただけだった過去を経て尚「自分が魔法少女である」ことを強く自覚したスノーホワイトは、原作のスノーホワイトと比較してずっと真っ直ぐだなあと思います(自分はあのじくじく生傷だらけの原作スノーホワイト大好きです、念のため)。

 

そう易々と選べる選択肢ではない。

大切なのはこれはコミカライズ版ハードゴア・アリスの願いの否定ではないということです。彼女が願った「スノーホワイトを消さないで」の「スノーホワイト」というのは、きっと最後まで亜子が見ることができなかった、消えかけていた「誰かを幸せにする」ことに強く自信を持っている、かつて小雪が夢見た魔法少女スノーホワイトだったのでしょうから。

 

 

 

というわけでコミカライズ感想おわり。楽しかったです。しばらく休んで、月まほが来たらぼちぼちまた何か言ってると思います。restartコミカライズ感想も書きたいですけど、正直restartコミカライズの感想を書ける自信が無い。また単行本発売前後くらいになにかしら書くかなあ。

何かご意見ご感想あれば書いてもらえると大変喜びます。以上。