すふぉるつぁんど

主に遠藤浅蜊著「魔法少女育成計画」シリーズについて書き残していくブログです。

踏み込んだ話は全部横に置いた上での話(QUEENSネタバレ)

QUEENSの話

 

人生全ての幸運を使い切った後にやってくる最大の不幸について、

それを『世界から「死んじゃえ」と命令されているような最期がやってくる』と表現したのはうるるでしたが、実のところ彼女は幸子の契約書の内容をはっきりと理解していたわけでないことが確定しており

 

「そのあと悲惨な運命が待っている」というプレミアム幸子の魔法に対するオフィシャルファンブックの解説も、永続的な運命の転落を明言しているとはギリギリ読めなくて(ここ意図されているよなあと見返して思った)

 

そしてプフレは、たとえ本人がシャドウゲールに生きていてほしいと何より強く思っていたとしても、その自分の意思によって彼女にこれから先一生最悪の不幸が訪れ続けることが約束された生を強いるような存在ではないため、

幸子の契約書の要項には、「幸運を使い切った人間はその先永遠に反動の不幸が続く」と明記されているものではなかったとして

 

 

幸子の魔法で訪れる不幸とは、短時間の幸運の揺り戻しとしての、短時間の最悪の不幸だったのであって シャドウゲールのこれからにずっと不幸が付きまとうと確定しているわけではないんじゃないかなあと思います

シャドウゲールはこれから一生福引も当たらないしここぞという時に命中率80%の攻撃技を外してアーリィにゲームで負けるし一万円札を拾うこともないかもしれない。幸運を使い切ったわけですから

 

でも、もしも、あの規模の不幸が、あの瞬間、あの思考を巡らせたシャドウゲールが絶対に絶対にやりたくなかったことが、絶対に訪れて欲しくなかった最悪の運命に比類する最悪が連鎖していくとしたら、一人残された彼女がアーマー・アーリィと一緒にぼんやりとゲームをしているという状況さえありえないものだったんじゃないかなあ

プフレのことを抜きにして、ゲームができなくなるアーマー・アーリィに心を痛めて一瞬ゲーム破壊を躊躇ってしまうのは、きっと失った記憶には関係の無い、彼女が生まれ持ったどうしようもない資質なので、あそこでぼんやりと生きていることがシャドウゲールに持続している「最大の不幸」ではないんじゃないかなと思う たとえ彼女が壊れていたとしても

 

幸運と幸福は同じではなく、運を使い切った先にある人生は「不幸な人生」ではなく「幸運ではない生」であるのだと、そういう、そういう……そういう話 あまりこれは自分が好きな話の持って生き方じゃないんですけど

一生分をかき集めた幸運を短時間で使い切ったのだから、その反対にやってくるのは一生分をかき集めた短時間の不幸なんじゃないか そんな夢をしばらくは見ていたいなーと思います

 

そういう問題ではない。そういう問題ではないんですけど、なんというかいろいろまだ、なにもかも、もうちょっと時間がかかりそうなので取り急ぎそこだけ。書けた。全部目を逸らしたけどやっっっとQUEENSについて書けた、良かった……。

 

 

これだけ書いてとりあえず終わりにしよう。『魔法少女育成計画QUEENS』、本当に本当に素晴らしかったです。遠藤浅蜊先生の物語が、マルイノ先生のイラストと共に読めることこそが何より自分の幸福だなーと思いました。