すふぉるつぁんど

主に遠藤浅蜊著「魔法少女育成計画」シリーズについて書き残していくブログです。

ジップステップ編「朗読劇魔法少女育成計画double shadow」感想③

 

 朗読劇感想も3回目、今回はジップステップ/宍岡守(演者:前島亜美さん)です。朗読劇版ジップステップ……。この人の感想は朗読劇の配信視聴可能期間に絶対書いておきたかった。

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 なんと来月4/21まで見ることができるので、まだ見られていない方がいらっしゃったらぜひ視聴をおすすめします。もし円盤がなかったらこの朗読劇版ジップステップを見られるのはこれきりかもしれないし……。というわけで以下感想。長いです。

 

 

 

 これまでの感想で何度も書いてきたことではありますが、朗読劇魔法少女育成計画double shadowは、原作小説と展開が大きく異なります。

 その大きな違いを主として牽引しているのは、朗読劇初登場キャラクターであるところのジップステップ。人間態名は宍岡守(ししおか・まもり)。魚山護と下の名前の音を同じくし、元々は人小路庚江の付き人だったというとんでもない出自のキャラクターです。こんな人が急に朗読劇でポップアップしていいんですか!?

 しかし過去編で初登場する魔法少女、しかも登場時間軸がプフレとシャドウゲールと同じ魔法少女試験の候補生となればそれは……死にそうな人すぎますね……!

 というわけでジップステップについては、朗読劇初回で出自と時系列が明かされた瞬間にあっ死ぬのか……の覚悟をしていました。万が一double shadowを生き延びたとしてもその先プフゲル以外全滅確定試験なので希望がなさすぎましたね。朗読劇ジップステップ的にはむしろ試験までもつれ込まなくて良かったのかもしれませんが。

 

 そんな先行きが暗すぎる舞台設定での登場となる魔法少女・ジップステップを演じられていたのは前島亜美さん。いや~~この方の演技が良かった……。本当に良かった。

 朗読劇double shadow初回の自分の感想が「良かった、いいものを見た」だった理由の割と大きいところに、この前島亜美さん演じるジップステップの感情があったように思います。それくらい見てて楽しく苦しかった……!

 ジップステップ/宍岡守はなかなかに特殊な出自の女の子です。中学生の齢でもう両親と死別し姉とも生き別れとなっていたし、誇りを持って務めていた庚江お嬢様のお付きの任は無実の罪で解かれてしまうし、その後任の魚山護はあんな感じだし……。寝食に困っているとか、教育を受けられないとか、いじめや物理的暴力を受けているとかそういうベクトルではないものの、だいぶ人生の向かい風が厳しいんですよね。家族もなく友人もなく、周囲が敵ばかりだと零す守の「これまで」を考えると気が重くなる。

 

 しかし前島亜美さん演じるジップステップからは、一見してその苦しい生活環境を感じさせないような気丈さ、健気さを感じました。生真面目にエーコからインストラクションを受ける姿も愛らしく(プンプンガオガオに引っ張られていないか?)、時折見せるはにかんだような笑顔もまたいたいけで。そしてその影からじわじわと滲み出てくる隠しようのない暗い感情、十年近くかけて降り積もった激情の見せ方もすごく良かったですね。展開が進むごとに段階的に彼女の本心が開示されていって、朗読劇を追っていくのが楽しかったです。

 文字ではなく、三次元的な視覚と聴覚をフルに使ってキャラクターの良さを感じるのは、現状小説を読む形での物語摂取では難しい体験です。自分にとって経験が浅い経路でキャラクターの「味」を感じてしまうと、なかなか取り替えの効かない形で心に刻まれます。自分にとって朗読劇版ジップステップはそれだったなあという感じ。陽の方向でも陰の方向でも、テンションが上がった時に口を横気味に開いて喋る前島亜美さんの声色が特に好きでした。

 

 

 さてそろそろ朗読劇で描かれた守の諸々の描写について。

 守のバックボーンって上で少し触れたように色々問題があるんですが、改めて書くことには、まずもって出生周辺が嫌すぎる。「まもり」という名前の使用人が複数人いて「人小路家/人小路庚江をおまもりできるように」という意図で名前を縛られているの、とてもではないが許されて良いことではないと思うんですが。

 守と護のどちらが先に生まれたのだろうかとか、任意のまもりが生まれた時に庚江はもう生まれてたんだろうか、万が一まだ生まれてなかったら名付けが怖すぎる……とか考え出すと、どこをどう斟酌しようとも「親の気が狂っている」という感想にしかならない。人小路家怖いしその周辺にいる使用人ご家族も怖い。まあ人小路家に長い歴史があることを思うと、いざとなったら命を張って主人をまもる側近にもスペアが居たほうがいい、という価値観がまだ生き残っていても頷けはする……のでしょうか?

 

 考えれば考えるほどこの辺の家庭事情は知りたいような知りたくないような気持ちになります。魚山とか宍岡も飛鳥の時代から続く側近名家とかだったりするんだろうか。人小路家のお子様が生まれるタイミングでお付き目的で子供生んだりしてるんだろうか。水面下の政治的な争いで側近の立場を奪い合ったりしてるんだろうか……?

 護という名前の子が一人居るだけでも、十分すぎるほど業が深いな~とこれまで思っていたのに、そんなのがまさか複数いるとは思わなかったし、その名前を負わされていながらにして「側で守ることができない」立場に追いやられている子がいるとは思いませんでした。結果的に業が累乗になっているしそれに振り回されて守がめちゃめちゃになっている。エーコが出ていったのもまあ頷けるお家事情です。

 

 

 そんなジップステップにとって、自分が魔法少女になったのは降って湧いた「幸運」でした。彼女が助けて匿ったエーコ・EX・ランタンに、実は私も……と魔法少女であることを明かす時の、喜びを隠せないような笑顔が胸に痛い。「救われた気がした。認められた気がした。今日から全てが、世界が反転するって……思えたんです!」*1というエーコへの言葉に現れていますが、彼女にとっての「魔法少女」は、この膠着した人生を打破しうる唯一と言っていい力でした。

 それに対してプフレとシャドウゲールにとっては、「魔法少女」は人生においてそれほど必要なものではないんですね。プフレにとってはむしろ自分が関知していないところにあった気に食わない力だし、シャドウゲールは魔法少女の実在に浮かれつつも反面大した執着はなく、思い出作りになるかならないかというねむりん的マインドでいる。朗読劇版護の「落ちたら落ちたで、その時考えれば良いんです」*2も原作小説版護の「思い出作りなんですよ。楽しさ優先、自由でいいじゃないですか」*3も改めて見返すとびっくりするほど超絶ゆるくて好き。人小路に人生を縛られているのは守と護どちらも同じ、力を得たのも同じタイミングなのに、思っていた以上に魔法少女にも自分の神引き魔法にも関心なかったなこの人……。

 この「魔法少女」に対する意識も執着も結構人それぞれなのは魔法少女育成計画の好きな世界観の一つなのですが、プフレとシャドウゲールの出自と魔法少女への意識が特殊な分、魔法少女という力を必要とするジップステップとのコントラストはより一層、いっそ残酷なほど濃かったように感じます。

 

 そうしてクラムベリーの候補生としてジップステップが手にした固有魔法は、朗読劇版ではまるで庚江との思い出を結晶化したもののようで痛ましかったんですが……そちらの情緒的な部分は一旦さておいて、スペックとしてのジップステップの固有魔法についてちょっとだけ。

 彼女の固有魔法は「影を踏んだ相手の動きを止めるよ」。わかりやすくイメージしやすい「かげふみ」(朗読劇台本でも原作小説でもひらがな表記なのはひょっとしてポケモンの特性意識なんだろうか)の魔法でありつつ、なんと無生物の動きも影を踏むことで停止させることができます。魔法少女の魔法に「それもいけるんだ!?」とか「そういう使い方するんだ!?」となる感覚は毎度楽しいものです。影踏みで無生物も止められるというのはいい塩梅に意識の外にある展開のされかたで心地よかった。逆にエーコの初手パワータイプ光使いっぷりはそれはそれで清々しくてよかった。

 

 ちょっとメタ的な話になりますが、今回の朗読劇は、「double shadow」とタイトルから影を帯びており、その名に相応しく、劇中でも光と影を用いた演出が多用されていました。それはジップステップ&エーコの魔法も同様です。朗読劇第一弾でのミーヤ・オクターブやテルミ・ドールが、「音響」的な意味での舞台向きな固有魔法だったとするなら、朗読劇第三段でのジップステップ、そしてエーコ・EX・ランタンは「照明」的な意味で舞台向きな魔法だなあと感じました。アンサンブル向きとも言う。

 ジップエーコの光&影は舞台映えする魔法でありつつ、小説上の戦闘描写としてもすごく映えそうです。ジップステップが魔法少女として修練を積んで、自分の魔法を活かしまくって戦っているところがぜひ見てみたかった……。ベテラン魔法少女になった彼女がエーコと組んで戦っていたら魔法の展開がすごく楽しかっただろうなあとか詮無きことを考えてしまいます。

 

 

 閑話休題してジップステップの執着の話に戻ります。序盤で見られるジップステップの朗読劇版と原作小説での大きな違い、それは彼女が「人小路庚江と魚山護が、自分と同じクラムベリーの試験の候補生魔法少女だと知っている」ということです。この変化は恐らく、守が持っていた庚江への憧れや執着が原作小説と比較してあまりにも強すぎたことが起点となっています。

 上に少し書きましたが、彼女の影踏みの固有魔法も、庚江との影踏み遊びを由来としている様子で。そんな朗読劇オリジナルエピソードが挿入されているのも、守から庚江への想いの強さを強調しているように感じます。彼女はこの輝かしい思い出ばかりを胸に、甲斐のない鍛錬を積み続けてきたのだろうなあ。

 

 そんな風な形で庚江への執着が原作小説よりだいぶ強かった結果、守は恐らく庚江と護の会話を立ち聞きしてしまい、だからこそ彼女は自分が魔法少女になるためには、同じ候補生である庚江(と護)を蹴落とさなければならないジレンマに激突します。

 忠実な使用人としての葛藤と、それでも魔法少女になりたいという想いと、魚山護という存在自体が守に常時与える莫大なストレスと、本人も薄々感じている自分は庚江にとっての護にはなれないという現実が絡み合い……そしてジップステップは最終的に「魔法少女」を選びました。

 

 朗読劇も後半に差し掛かった頃。彼女は「お嬢様には危険すぎる」*4という理由で、プフレとシャドウゲールの魔法少女活動を止めさせたいとエーコに伝えます。ここが……大好き! 当然ながらこのシーンは朗読劇オリジナル要素なんですが、ここでのジップステップの、どうしても清らかなままではいられないエゴの出方が大好きです。そのエゴになんとか体裁を整えようとする痛々しさも人間臭くてかなり好ましい。

 自分はお嬢様を蹴落としてでも魔法少女になりたいのだと堂々と認めることはできない、それでもどうしても魔法少女という「力」が欲しい、そしてこの膠着した現実を打ち破りたい、その葛藤は見ていて心惹かれるものです。

 やっぱり思い悩む魔法少女は良いですね。しかし人小路邸の窓越しにプフレとシャドウゲールを見つけた時のジップステップの独白は、葛藤とか思い悩むとかそういう領域のものではなかったんですが……。

 

「二つの世界、二つの姿をもってしても、仕えているのは私ではない。その事実は、耐え難い……。あいつさえいなければ、お嬢様の横にいたのは私……。魔法少女になった今でも、私の方がお嬢様をお守りするにふさわしい、はずなのに。正直彼女を夢の中で殺したことは三桁、いや四桁は超えている」*5

 

 窓越しにプフレとシャドウゲールを見詰めるジップステップの感情が昂っていくにつれ、次第に大きくなっていく影。紗幕を利用した影の演出は、庚江と守の影踏み遊びのエピソードでも用いられていましたが、やっぱり一番印象に残ったのはこのシーンでした。

 これ、配信ではっきり見えるかちょっとわからないんですけど、舞台奥にセットされた光源の方へアンサンブルの方がゆっくり近付いていくことで、紗幕に映る影が大きくなっていっています。強すぎる「光」に囚われたジップステップを、そういうニュアンスでも上手く表しているなあと感じ、一番記憶に残った演出でした。

 大きくなる影を背後に抱えつつ、夢で護を四桁殺害してることをさらりと告白するジップステップからは、周辺描写での「あいつの姿を見た時の、心のひりつきと言ったらなかった」*6「切り裂きたいほどの激しい嫉妬」*7「煮えたぎるような嫉妬」*8「そこはお前のいる場所じゃない」*9といった言葉の端々から感じていた、魚山護への憎悪をこれ以上無いほど具体的に理解させられました。こうして集めてみても強い言葉が多すぎる……!

 

 ジップステップがこれほどまでに強固な憎しみを抱えていたことを認識してみると、少し時系列は遡り、エーコとの修行の最中に「父も母も、厳しかったし、こんな風に協力したり、笑い合うなんて……私、ほとんど、したことなくて。楽しいんです。嬉しいんですよ? なのにどうして……おかしいな……私」*10と呟いたジップステップのことが翻って印象的に映ります。

 魚山護関連で言えば守の「おかしい」ところは幾らでもあるんですが、このシーンにおいては珍しく人小路の因縁にも魚山護への憎悪にも依っていない、ジップステップとエーコのあたたかい縁にジップステップ本人が戸惑っているんですよね。

 ここはどちらかと言うと原作小説寄りの関係性です(原作小説だとジップステップはプフレ相手よりもエーコとの関係のほうが濃いものになっているように感じる)。朗読劇側でも勿論ジップエーコの絆が存在しないわけではなかった、それがこの描写で示されてはいるんですが……その上でクライマックスでああなっていくのが改めてむごい。

 

 

 というわけでクライマックスの話です。自分が魔法少女であるためにお嬢様も蹴落とすと(魔法少女は危険すぎると言い訳をしながら)決断して遊園地へ乗り込み、ベテラン魔法少女エーコの力を借りて、同じ候補生であるプフレとシャドウゲールを今一歩のところまで追い詰めたジップステップでしたが……。その全てをひっくり返したのは、シャドウゲールの「宍岡さん、宍岡守さん、ですよね?」*11という言葉でした。

 そこから展開されるジップステップの激情。ゆっくりと顔を上げ、ひきつった表情での「えっ?」という声で場の緊張感は頂点に達します。その場でのジップステップの関心事は、何故魚山護が自分に気づいたかなどではなく、「お嬢様も自分のことに気付いていて黙っていたのかもしれない」という最悪の想像です。この推測をした時点で、お嬢様が知っていて黙っていたかもしれないことを口に出して明らかにしてしまうシャドウゲールへの怒りが加速するのは自然といえば自然。勿論それは、自分の後ろ暗い部分を無邪気に暴かれたことによる八つ当たりに近い感情なんですが……。

 

 魚山護からの続く「宍岡さんを見習いなさい、っていつも言われてましたから」*12という完全に地雷な一言(本当にすごい)を受けて、ゆっくりと顔を上げるジップステップ。こいつは何を言っているんだと言わんばかりに目を細め、笑っているとも泣いているともつかないような表情での「私を?」という言葉。

 いやーー……良かったですね!! 配信でこうして見返しても良いし、朗読劇初回現地で見た時のジェットコースターが下り始めるような感覚を思い出すにも物凄く……スリリングで楽しかった。言ってしまえば修羅場なんですけど、それもその場にいる全員にそれぞれ非があるタイプの修羅場(一番好きなもの)なんですよね。だからこそ誰もジップステップを強く止めることもできず、彼女の感情は堰を切ったように溢れ出ます。

 

 絞り出すような「どうしていつもお前は、こんな風に私をバカにするの……!」*13という言葉が本当に苦しい。護にはそんな意識は全く無いし、むしろ守のことをリスペクトしている。自分をバカにする意図など護にないことはきっと守もわかっていて、だからこそ、なおのこと護の存在が認められない。

 そしてジップステップの激情は自然とプフレの方にも向けられます。「どうして私を……選んでくれなかったんですか! こいつが、こいつがいなくなればまた、私をあなたの従者に……あなたの影に……してくれますか?」*14という悲痛な問いもまた……好きなセリフでした。庚江は守が痛々しいほど自分を鍛え、再び付き人の任を務める日を目指し続けていることを知っていながら、そこから彼女を解き放ってやることはしませんでした。その辺の庚江の話をするのは原作小説の方の感想の回にしますが(書いておきたい感想が朗読劇と原作小説に跨っている結果錯乱してこんなわけのわからない量の感想を書いている)、ここはジップステップがプフレの非の部分に踏み込んだかなり印象深いシーンでした。

 

 

 そんなこんなでジップステップが感情を爆発させている間に魔王が遊園地へ辿り着いてしまい(時間稼ぎというプフレの目的は図らずもシャドウゲールの危うい発言で達成されていた)、そこで繰り広げられたパムとの戦いの果て、ジップステップは……プフレを守るためにパムの攻撃上に飛び出してしまいます。

 これは原作小説とクリティカルに異なる部分です。朗読劇でのジップステップは、「崩れかけた観覧車からプフレを守るために影を踏みに行く」という形で魔王パムから致命傷を貰います。原作小説だとジップステップはエーコを助けようとして命を落とすのですが、結果は似たようなものなれど、朗読劇と原作小説とで行動の対象が別になっている。これは大きな違いです。

 自分を導いてくれた熟練魔法少女とより戦闘強者で魔王塾所属の魔法少女の一騎打ちに割って入って死んだ場合、ちょっとあまりにもミーヤ・オクターブの再来すぎるとかそういう理由もあるのだろうか。いやどちらにせよ結局庇って命を落としているのでミーヤ的な挙動ではあるんですが。それはそれとしてこの場の全員の立ち位置と影の構図が未だによくわかっていないんですが、影を伸ばすためにエーコが物凄く遠方に強めの光源を設定していたとかそういう感じだろうか。

 

 ここからのジップステップは、関係性を精算させるためにかなり気合で長生きします。面白いくらい息が長い。すごい。

 瀕死の状態でプフレからシャドウゲールにかけてをやった時点でとんでもなく頑張ってるのに、そこからエーコまで行くのは……あまりにも気合いすぎるだろうと思わなくもないですが。まあジップステップの思いの強さは見てきたところなので……ジップステップの感情エネルギーと魔王がめちゃくちゃ空気を読んだことによる賜物だと思います。あの一連のシーンの魔王全部やろうと思えば殺せるのに大人しく待ってるんだよな……と思うととんでもなく律儀ですごい。そこからエーコを堂々迎え撃つの真なる魔王の挙動すぎて本当に格好良かった。

 

 まずはプフレとのやり取りについて。「……お嬢、様、私……あなたの影に、また、なれますか……。認めて、くれますか」*15と問いかけたジップステップに、(かなりジップステップに感情が揺さぶられている)プフレは「認める。認めるさ。だから」と返します。これは結構ジップステップの粘り勝ちみたいなところがあると思います。原作時点でかなり身内に甘い人なので死に際のわがままくらいは確かに頷いてしまうかもしれない。確かにか?

 

 続くシャドウゲールとの会話については前回のシャドウゲールの感想シャドウゲール編「朗読劇魔法少女育成計画double shadow」感想② - すふぉるつぁんどで書いた趣味の悪い面白はありつつ、彼女の存在はシャドウゲールにとって「自分の名前」をより強く自覚させる流れの一つになるだろうなと感じました(人小路因縁アンチのエーコがめちゃくちゃ渋い顔しそうではある。因縁の犠牲者が同じ犠牲者に役目を果たすことを託している構図なので……)

 

 そして最後のエーコとのやり取りは、エーコにとってあまり喜ばしいものではなかったかもしれませんが。まあ原作小説側でもむごいことに変わりはないので……まあ……。

 しかしエーコ側からすると、朗読劇の展開って結構物凄いことになっているんですよね。偶然妹と再開して、彼女と二人で人小路の因縁から抜け出して傭兵魔法少女をやるという儚い夢を見ていたら、朗読劇版ジップステップは「お嬢様が、生きられるなら、生まれ変わっても、私は……命を、ささげる」「それが、私の……幸せ。ごめん……ごめんね……」*16とか笑顔で言い切って死んでいく。

 これは、姉であることを知らずに死んでいった原作版とは……また別の角度でかなり遣る瀬無いものではないかと思わなくもありません。朗読劇版ジップステップは全然最期まで人小路の因縁の中にいて、エーコが「お姉ちゃん」であることを理解していてなおその幸せの中で死んでいった人なので……。ジップステップのその覚悟の決まりっぷりは好ましさばかりなんですが、エーコの立場を思うとうおお……と苦しくなってしまう。

 

 ただ、そこの虚しさは一旦さておいても、朗読劇全体を見た時に、シャドウゲールに挙動を介して正体を見抜かれたジップステップが、同時にエーコの挙動から彼女が姉であると見抜いていた……という交錯具合は見ていて面白かったです。ジップステップとエーコで庚江&護の害意の矢印が交錯しているのも、朗読劇オリジナル要素の好きなところです。やっぱり関係性が入り交じるとそれだけ味わい深くて良かった。

 

 

 はい。このあたりで朗読劇版ジップステップの感想は以上。こうして振り返ってみましたが、やっぱり……朗読劇にしかいない朗読劇版ジップステップのこと……一つの個体としてかなり好きです!

 原作小説を読んだ時にかなり読み味が違い(原作小説版は原作小説版でジップステップの好きな要素が多々あり、それは別の回で書きます)、朗読劇での前島亜美さんの名演部分が大体原作に存在しないことに驚くを通り越して恐れ慄いてしまったんですが(自分は基本的に原作厨なので、原作改変が凄まじい物語というのは本来あまり好ましいものではない……ものの、double shadowはそもそも朗読劇のために書き下ろされた物語なので俗に言われる原作改変がすごいメディアミックス作品とはまた違う位置づけとなるように感じ、そしてジップステップの良さを感じた部位は演者や演出を介したもので、つまり「朗読劇」だからこその好きと改変に伴う物語としての好きがあり、朗読劇の改変要素にはプフレの回で書いたような好きな味も割とあり、つまり……好きで……)、時間を置いて落ち着いて考えてみてもやっぱり好きなものは好きでした。

 そして同時に、朗読劇版ジップステップという存在はあの舞台のあの演者勢のあの演出でしか見られない体験で、もし映像が残らなくて、台本だけで彼女のことを思い出そうとしたら、この「好き」はどんどん希薄になっていくだろうなとか考えると、朗読劇版ジップステップという存在の儚さを感じてしまい……そう考えると配信映像があるのってすごくありがたいことだなとか、でもやっぱり現地の感覚が一番真実だったよなあとか、こんなあまりにも主観的な「良い」の吟味を常態的にやってる舞台というジャンルって恐ろしいなとか、そういうことを未だにぐちゃぐちゃ考え込んでしまっています。こう書き出すと本当にぐちゃぐちゃしているな。考えることが相当相当相当舞台初心者ですね未だに。感性が小説育ちなので三次元体験に疎すぎて、このあたりの考えはまだ全然答えが出きっていません。

 

 あまり朗読劇本体ではない部分で妙なセンチメンタルがあり、朗読劇版ジップステップという存在への思い入れが思った以上に強くなってしまっている。それは演者の前島亜美さん、並びに朗読劇という場を作った全ての人による力なのだと思うと……舞台ってすごいなあ。朗読劇というものを楽しく追うのももう三度目ですが、見るたびにより一層舞台というものが好きになっている気がします。というちょっと朗読劇ジップステップそのものからは少し逸れたところでこの話は終わり。

 次回はエーコ・EX・ランタン&魔王パムについての感想を1記事で。ちょっと信じられないくらいのテンションで感想を書き続けているな……。

 

*1:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.20)オッドエンタテインメント

*2:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.36)オッドエンタテインメント

*3:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」(p.51)オッドエンタテインメント

*4:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.47)オッドエンタテインメント

*5:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.48)オッドエンタテインメント

*6:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.18)オッドエンタテインメント

*7:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.18)オッドエンタテインメント

*8:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.46)オッドエンタテインメント

*9:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.48)オッドエンタテインメント

*10:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.47)オッドエンタテインメント

*11:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.64)オッドエンタテインメント

*12:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.65)オッドエンタテインメント

*13:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.65)オッドエンタテインメント

*14:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.66)オッドエンタテインメント

*15:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.78)オッドエンタテインメント

*16:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.80)オッドエンタテインメント