すふぉるつぁんど

主に遠藤浅蜊著「魔法少女育成計画」シリーズについて書き残していくブログです。

シャドウゲール編「朗読劇魔法少女育成計画double shadow」感想②

 

 今回は朗読劇版のシャドウゲール/魚山護(演者:小松未可子さん)についての感想です。

 前回どう考えても長々書きすぎたので、今回は短めに収めたい。以下感想。

 

 

 今回も、物語の内容に入る前にまずはシャドウゲールに関する大まかな感想を。

 元々朗読劇のシャドウゲール役を予定されていたのは、アニメでのシャドウゲール役として元々告知されていた近藤玲奈さんでした。その近藤さんが体調不良で活動を休止され、代役として出演されたのが小松未可子さんだったのですが。代役という経緯をすっかり忘れてしまうほどにシャドウゲール役が嵌っていたなあ……と感じました!

 クールさもありつつ飄々として掴みどころのない雰囲気、車椅子にしがみついているシーンなどとにかくリアクションが良いところ、咄嗟に正解を引き当ててしまい自分のしでかしたことの自覚がなく戸惑うタチの悪い(本当に悪い)一面など、朗読劇においてやや難しい立場であるシャドウゲールの多様な性質を感じる演技で、観ていてとても楽しかったです。

 

 そして常に書いていることではありますが衣装が良い! シャドウゲールのコスチュームを基にした黒を貴重とした衣装は、南條愛乃さんのプフレモチーフのガッツリドレスよりはカジュアル寄りでありつつも豪奢で可愛らしかったです。

 フリルに彩られた首元は、シャドウゲールの盛り盛り首周辺装飾(首元フリル・鳥羽・リボン)を感じさせてそこも好きです。シャドウゲールがこの服を着ているところが見てみたいな~~と強く思うような衣装でした。プフゲルって魔法少女で私服着て外出する勢だし、こういう系統のお洋服も着ていてくれないだろうか。着ていてほしい。

 

 そして小松未可子さんについて印象的だったのはやっぱり……アドリブでしょう! 千秋楽での舞台挨拶ではご自身を戦犯と自称されていましたが、前回のプフレの回でも書いたようなややトラブル的なアドリブへの対応は、戦犯などと呼べるようなものではなく、むしろ職人的技巧を感じて慄いていました。なんなんだあの技術。

 あれだけやりたい放題している風なのに、本人に関して言えばその挙動がなぜか印象としてシャドウゲールの演技から逸脱しない(シャドゲのキャラクター性もあってのことかとは思う)のには畏敬の念すら覚えました。周囲を振り回しつつ本人は至って自分のペースでいるという超然としたところもまた妙なシャドウゲール的良さを感じ、いやあ良いものを見たなあという気持ちでいっぱいです。

 その結果「へ? まだ何もしてませんよね。私。今日は……」*1という台本通りのセリフが、全然アドリブで色々やりまくっているためツッコミ待ちみたいになっちゃってプフレ側がどうしたものかとなっていたあたりとか相当よかったですね。その曲芸に付き合う側のプフレ役南條愛乃さん側の方が素で笑っちゃったり口調が崩れたりさせられちゃってて振り回されている関係性が図らずともプフレとシャドウゲールを感じ楽しかったんですが、前回の記事でも書いたし、いい加減自分が気持ち悪いためこの話はもうやめます。

 

 

 さて朗読劇のシャドウゲールの描写について。プロローグの百人試験シーンは、「お嬢、私から離れないで!」*2というシャドウゲールの緊迫したセリフで幕を開けます。これは原作と共通したセリフ。シャドウゲールの「護る」意思を既に感じて驚くと同時に、原作を読んでいればその後の展開は知るところなので、ここからああなるのか……ということを立ち上がりの時点で考えてしまって気が重かったです。

 プロローグに試験の描写が入ってくるのは朗読劇オリジナルの構成ですが、そこに至るまでの流れと理解したうえで物語を楽しむことができ、劇として馴染みやすい形だったなあと思います。

 

 そんな緊張感高まる開幕ではありましたが、過去を遡る形での日常シーンで登場したシャドウゲールは初っ端からもうにやにやゆるゆるしていて、魔法少女という降って湧いた非現実に浮かれているのを隠そうともしていない様子でした。

 魔法少女の実在に無邪気に喜びつつ、それでいて自分はコアな魔法少女ファンというわけではなさげな浅さはその発言内容から見え隠れしていて(余談:アドリブの「ふたりはプフレとシャドウゲール」好き)、ああこれはキューティーヒーラーをぼんやりとしか知らないシャドウゲールだなあという感じ。

 

 露骨に浮足立っているシャドウゲールに冷めた目を向けるプフレ……という構図は原作と共通したもので、その後の大まかな展開もクライマックスに至るまでは似たような流れなのですが、そんな中でも朗読劇版では割とストレートなプフゲルのいちゃつき描写が多かったですね。アドリブでも存分にやりあっていたし、台本としても単純な仲の良さを感じる描写が多かったように思います。

 遊園地の思い出を「初めて二人で遊んだ場所」*3とシャドウゲールが認識していたり、その後も「私だってお嬢の従者だ。二人で過ごすこの記憶を、失くしていいなんて思うはず、ないのに」*4と零していたり、プフレの悪戯に対しても割と満更でもなさそうな風を見せていたりしていました。

 小説での描写はここまで直接的ではないため、何を考えているのかぱっと見以上に掴みにくいんですよね。それがまたシャドウゲールの難解極まりないキャラクター性の魅力でもあり、自分はそこが大好きなんですが、朗読劇版は何というべきか理屈抜きで萌えでした。全然それはそれとして萌えた。良かった。

 

 いちゃつき以外の部分でも、シャドウゲールがプフレと通じ合っている描写はしれっと差し込まれていたりしました。作中でプフレの「焦り」を感じ取れていたところなどは、流石正解を見抜くシャドウゲールだなあという感じ。

「手を離さないでいてくださいよ」「手放すと危なっかしいからね、護は」*5のやり取りなんかは朗読劇版オリジナルのものなんですが、原作にて後々プフレのことを「ひどく危なっかしい」*6と感じるシャドウゲールのことを思い出しつつ、ここまでお互いに意思を言語化したやり取りが出来ていたらなあと思うようなちょっとほろ苦い要素でもありました。しみじみと思うことには、小説は大体常に全然言語化してない……!

 

 

 さてそんなこんなでクライマックスでのシャドウゲールについて。

 ジップステップに夢の中で4桁殺されていたとは露知らぬまま「無神経で、無頓着で、へらついて」*7生きていたシャドウゲールですが、だからこそ彼女はジップステップ=宍岡守であることに気付いた時、無邪気なままにそれを明かしてしまいます。

  こういうところもまた自覚のないままに正解を引いてしまえる彼女の性質ではある……し、かといってその先までは察することができないので場がぐちゃぐちゃになる塩梅がまたシャドウゲール的ですね。そりゃジップステップに詰められもします。

「宍岡さん、宍岡守さん、ですよね?」*8のセリフは小説で読んでも胸が冷えるものなんですが、朗読劇として音声となると小説よりも一層シャドウゲールの異様な呑気さとかどうするんだこれみたいな場の空気エーコとプフレの気まずさ凄すぎる)とかが三次元的に展開されていて猛烈に良かったです。

 

   シャドウゲールが「無頓着」なのは、人小路庚江の付き人という(守からすれば)非常に恵まれた立ち位置に限らないことで。原作小説シリーズにおいても、彼女は自分が世界を終わらせかねない魔法の持ち主であったことにも(現在に至るまで)それほど自覚はなかったように思います。

   様々な意味での「持てる者」側でありながら、シャドウゲールはその自認がありません。そこに関しては、自分が力を持つものであることを強く意識している魔王パムがdouble shadowに登場していることにより、また一つ印象を強めていたように感じました。だからこそ「シャドウゲールのそういうところ」に堂々と激昂する(朗読劇版)ジップステップという魔法少女の重みがあったというか、こう振り返ってもジップステップはかなりユニークな立ち位置の魔法少女だったなあと思います。

 

 ここから先はやや感想の蛇足というか、なんかもう色々としょうがないところはあるんですが、朗読劇版だと「生きるなら、生きられるなら……お嬢様を、守れ……」「……絶対に、生かして。お嬢……を。お願い、だから。シャドウ、ゲール……」*9とジップステップからプフレを託されたシャドウゲールが、このまま順当に原作の流れに合流すると将来的にプフレのことをレンチでガンしたりハサミでドンしたりするんだよな~……と考えるとなんともやりきれなさもあり、ここは先を知っていると苦しい展開でしたね。

 そんなことが起きると知ったら朗読劇版ジップステップさんが墓場から這い出てきそう。殺人未遂と殺人完遂以前の話として、restartで庚江にゲロの掃除させたりしてるあたりで朗読劇版ジップステップの血管千切れるかもしれません。ギャグ時空で見たい。

 

 そういう趣味の悪い面白はありつつも(?)、真面目な話をするにしても、シャドウゲールにとって、ジップステップという存在が与えた影響はやはり大きかったのではないかと思います。

 彼女の感情爆発をぶつけられた際のシャドウゲールは終始戸惑っている様子で、恐らくこれまで守が溜め込んできた感情全てを護が受け止めきれていたとはとてもいえないでしょう。それでも、身を呈してプフレを守ろうとしたジップステップの今際の際の言葉で、シャドウゲールは自分の名前への意識と、庚江を護るという意思を(良くも悪くも)改めて強めたのではないでしょうか。

 

 遊園地での最終的なやり取りとして、朗読劇版のシャドウゲールは「月が綺麗だ」と言うプフレに対し「お嬢が綺麗というならそうなんでしょう」*10と返します。

 シャドウゲールらしいと感じるようなやれやれ感のあるセリフでありつつ、原作小説版の「そうでもないですよ」*11よりは多少プフレに寄り添った内容となっています。

 朗読劇版だとプフレがジップステップに庇われたのもあってか相当感情的になっているし、シャドウゲールもジップステップに託された直後なので、こういう変化が入るのは自然なことだなあと思ったり。どちらにせよ少しひねくれていてシャドウゲールらしさを感じる。

 

 

 朗読劇版double shadowでは「光と影」というモチーフが繰り返し登場します。

 朗読劇の開幕にも「光は行く先を照らし、影は光につき従う」*12というモノローグがあり、魔王パムを除く4人の魔法少女も、プフレ・エーコ「光」、シャドウゲール・ジップステップが「影」のモチーフとして配置されているように感じます。そしてクライマックスまでの物語の大筋を辿ると、前述のモノローグに添うように、影側の魔法少女の行く先を導こうとするのは光側の魔法少女だったように見えます。

 しかしエピローグでは「寄り添う影はあの子のように、私の前にまっすぐと伸び、行く道の先を示す」*13と、逆に影の方が行く先を示しているような描写があるんですよね。これは光側の魔法少女の行動指針自体が実際は影側の魔法少女を想ってのことであったり、影側の魔法少女が物語を牽引する瞬間が確かにあったりして、「道の先」へと導いているのは果たしてどちらなのだろうという示唆を「光と影」というモチーフで表しているのかなあと思います。

 「光」という呼称にはどうも肯定的な意味合いとか信仰要素が入ってくる先入観があり、実際ジップステップについてはそういうニュアンスでもプフレのことを「光」だと認識していたとは思いますが、行く先を導くものという文脈ではシャドウゲールがプフレのことを「まばゆい光」と認識していたのも頷けるなあと、台本を読み直していてそう考えたりしました。運ぶ力が強すぎて実際まばゆい。

 

「朗読劇版の」プフレとシャドウゲールについて最後に一つ。

 ふたりのその先は未知数の未来すぎるので詮無きことではあるんですが、このシャドウゲールがプフレを守りぬこうと考えていた結果、百人試験はどうなるのだろうということをぼんやり考えていたのですが。プフレのために自分を犠牲にしたジップステップの存在も相俟って、彼女が「二人で生き残りたい」と考えていることにあまり目が行かず、自分を殺すことでプフレが生き残る、生き残られるという方向に思考が寄って、最終的には同じようにすれ違ってしまう……という可能性もあるかなあと思いました。

 なんというか、この時点の朗読劇版プフレとシャドウゲールは、全体的に原作小説版よりもう少しお互いの感情を明言して整理できている空気があるので、その二人が百人試験でああなるとしたらそれはかえってむごいことではないだろうかと感じてしまう。どうなったんだろうな……。

 

 

 このあたりで感想は終わり。

 シャドウゲールについては朗読劇での描かれ方も楽しかったんですが、原作小説版の描写で気になる要素が特に多く、書いておきたいことも多いので、また書きます。次回は朗読劇版ジップステップの感想です。うおお……。

 

*1:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.29)オッドエンタテインメント

*2:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.1)オッドエンタテインメント

*3:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.27)オッドエンタテインメント

*4:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.38)オッドエンタテインメント

*5:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.82)オッドエンタテインメント

*6:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画ACES No.55 宝島社,2019.8.23(ebook

*7:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.66)オッドエンタテインメント

*8:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.64)オッドエンタテインメント

*9:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.79)オッドエンタテインメント

*10:魔法少女育成計画double shadow」(p.82-83)オッドエンタテインメント

*11:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.104)オッドエンタテインメント

*12:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.1)オッドエンタテインメント

*13:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.84)オッドエンタテインメント