朗読劇の感想としては今回が最後。というわけでエーコ・EX・ランタン(演者:茅野愛衣さん)&魔王パム(演者:茅原実里さん)について1記事で。
エーコ・EX・ランタン
まずは朗読劇初登場魔法少女、エーコ・EX・ランタンについて。
EXの読み方はイーエックス。「エーコイーエ」部分の音が特に気持ちいい読みで好きです。間にEXが入るというのは……なかなかいないタイプの魔法少女名ですね。語感としてはまずミナ・マッドガーデナー・エイカーのことを思い出していました。
人間態名は「三上衛子(みかみ・えいこ)」ですが、元々の名前は「宍岡衛子(ししおか・えいこ)」で、ジップステップこと宍岡守の血縁上の姉にあたる存在です。三上姓は適当に通り名として使っていたのか、それとも多少縁がある人に因んだ名字なのか。そのあたりは謎。
彼女の魔法は「魔法のランタンから光を放つよ」。観劇前は眩しい程度の光かなあとか思っていたら、初手で思いっきり殺人光線放ってて笑った。ランタンというどちらかというとまろやかな光源アイテムから出ていい光量ではない。
舞台でのエーコ役茅野愛衣さんの椅子の隣にはランタンを模したライトが置いてあり、エーコがメインとなるシーンではそれが灯っていたのも印象的でした。特にクライマックスで光源が絞られてランタンの灯りだけになるところなど……。
作中では「光を放つ」というマイルドな表現からは想像できないビームを乱射していたエーコですが、そんな固有魔法とは少し違う部分の「武器」として、彼女は魔法少女式杖道(マジカルステッキドー)を体得しています。
気付かれていた読者の方もいらっしゃるかもしれませんが、エーコ・EX・ランタンは魔法少女式杖道の使い手です。マジカルステッキドーというフレーズが初心者向けとは言い難く本文から削られましたが設定は残っています。杖一本でも一流の傭兵としてやっていける達人です。
— 遠藤浅蜊 (@asariendou) 2024年3月22日
これにより魔法少女式杖道の使い手であり登場済みのキャラクターが、パワハラ上司(マイヤ)、クズ(られ子)、殺人鬼(フランチェスカ)、半グレ(もな子)、半グレ二号(エーコ)になりました。
— 遠藤浅蜊 (@asariendou) 2024年3月22日
傷つけることなく制圧することを至上としたらしい開祖の人は今頃泣いているかもしれません。
朗読劇を見ていた時点で、特に意識もせずこれはマジカルステッキドーかな……と勝手に推測していましたが、実際本当に杖道使いだったことが遠藤浅蜊先生のpostにて明言されました。魔法抜きの杖道単体で「一流の傭兵」としてやっていけるというのはかなりかなりの凄腕なのではないでしょうか。そして改めて杖道使いのガラが悪すぎる……。
マジカルステッキドー、地味に好きな設定なので出てくる度に嬉しくなってしまう。初心者への配慮(?)で削られたということなので、念の為ここで一旦杖道のことを振り返ると、この武術の明確な初出は「魔法少女育成計画breakdown」です。
ステッキやワンドを使う魔法少女達に必要とされ、人間が使う武道としての杖道をベースに開発、幾多のブラッシュアップを経て体系化されていった所謂魔法少女式武術の一つだ。ある種の典型的な魔法少女像に使用武器がマッチし、暴力ではなく護身を目的としているというこれまた典型的魔法少女観を損なわない売り文句から門を叩く者はそれなりに多い。特に防御に重きを置いているという──が、女神の暴威に対し受けだの止めだのがどこまで役に立つものだろうか。*1
とのことです。これを説明しているのが別にステッキドーを習得しているわけではない、ただただ事情通のネフィーリアというところも良い。やっぱり見る人が見たらもう立ち振舞いだけで杖道者だと一瞬で理解できたりするんでしょうかね。杖道者VS杖道者の勝負とかいつか見てみたい。
「ステッキ・ワンド系の道具を固有アイテムとして所持している魔法少女」という存在は魔法少女というモチーフの方向性的になんとなく多そうなイメージがあり、人口が多いところは武術の起こりとして通りも良いのがまた好きです。他の「魔法少女式武術」のことももっと知りたいです。マーガリートさんがやっていた耳を掴んでどうこうするやつとかも名前のついた武術だったりするんだろうか。マジカルコブドーとか。
そういえば小説版double shadowではエーコに「師」がいたことが示唆されていましたが、もしかしたらその師匠が杖使いだったりしたんでしょうかね。
エーコの持ち技にセオリー外の攻撃特化技である「穿魔」が出てこなかったあたりを見るにマイヤ系統の師ではないのかな……と思いましたが、もし序盤(の描写外のシーン)で魔王の羽一枚を破壊した時の技が「穿魔」だったりしたらルーツ的にアツいですね。全然根拠ないんですけど、原作小説版だと羽に残った痕跡は光線ではなく「殴打」だったと言及されているし、少なくとも杖道での技ではありそう。
話が逸れていっている。ので朗読劇の話に戻ります。
エーコに関してはどちらかというと原作小説の方が視点描写が多く、ベテラン傭兵魔法少女としての生き方の巧みさや、それでも偶然妹に巡り会えてしまったことで歯車が狂い、叶わぬ幸せな夢を見てしまう悲哀などが原作版にてより詳細に描かれています。
それでも朗読劇版でエーコがジップステップに見せる頼もしい先輩魔法少女としての顔や、人小路の因縁に縛られた彼女と己のエゴとに挟まれての葛藤、修行シーンや戦闘シーンで見せたベテラン魔法少女的立ち振舞い、真顔で急に異常が開幕するアドリブシーン(会場で一緒にプンプンガオガオできたのは良い思い出でした。なんでプンプンガオガオなんですか?)、そのアドリブからスッと台本に戻ってきた時の「どんどん工夫していっていいよ」*2というセリフがすごいじわじわ来るところなど、朗読劇でしか見られなかった彼女の魅力的なシーンは多々あったと思います(「どんどん工夫していっていいよ」に未だにじわじわ来ている。原作小説にもあるセリフなので読む度に思い出してちょっとフフッ……となってしまうの不可逆なのかなこれ……)。
そういうちょっと外れた面白さとはまた違う、本筋での(真っ当に)好きな朗読劇オリジナルのセリフについて。エーコの「いい加減、返してもらうよ。……私たち二人の人生をね」*3というセリフが作中でも特に好きです。宍岡姉妹(と魚山護)に関しては本当に人小路に人生を縛られていると言ってもいいもので、そこから強引に抜け出したエーコもまた、傭兵魔法少女という真っ当とはいえない生き方でしか生きていけていないし、人間としての生はあってないようなものなのかもしれません。
「魔法少女育成計画」シリーズ本編だと、人生縛られ当事者たる魚山護は基本的に諦念気質なので……自分の属している社会構造そのものに迎合こそしてはいませんが、積極的に人小路へその落とし前を付けさせようとはしません。なのでプフレ/人小路庚江側を結構積極的に詰めようとするエーコは、存在としての真新しさがありました。
シャドウゲールを詰めるジップステップもそうですが、本編での人間関係では言ってみれば「当然」的に処理されていたところに突っ込んでいく人が外伝で出てくると……常に楽しいですね。
そういう視点を持っているエーコだからこそ、朗読劇版では人小路庚江の付き人たる魚山護へ同情的な目を向けていました。(それに対して妹の方はシャドウゲール側に内心結構な殺意を向けているというのも食い違っていてまた見ていて面白い)。同じ境遇の護へ同情心を抱きつつも、それでもやっぱり妹のほうが大事なので、プフゲルが初手の光線アンブッシュで死んだとしてもそれはそれで処理してそう。そこもいい具合にドライで良い。
遊園地に居るプフレとシャドウゲールに光線を発射した後の「(明るく)あー。手加減してるから大丈夫だよ!」*4は、朗読劇で観た時文脈的にも(絶対手加減してない……!)と思っていたのですが、後で原作小説を読んだところやっぱり当然のように手加減していなくて良かった。快活にこういうことを言う人なかなか居ない。プフレに対する「残念。惜しかったね」*5とかも爽やかで好きなセリフの一つです。「さあ……くたばれ、人小路!」*6とかジップステップの前で元気に言ってるのは元気すぎて大丈夫なんだろうかという気持ちになる。
「……ね。ジップステップ。かないそうもない夢が、努力という無理で叶うなら、縋りついてでも、叶えるべきだと思う?」
「……はい! 私は縋り付いてでも……チャンスが与えられたなら、叶えるべきだと思います。もしチャンスがあるなら絶対に、今度は手放しません」*7
会話で言うと、ここのやり取りはエーコとジップステップどちらにも通じる印象深いものです。朗読劇版オリジナルの会話ではありますが、遠藤浅蜊先生の
ジップエーコの共通点は色々ありますが、トップツーは「意地っ張り」と「努力家」ではないかと思っています。
— 遠藤浅蜊 (@asariendou) 2024年3月20日
というツイートで表現されていた要素をかなり強く感じます。意地っ張りで努力家な姉妹……。かつてのエーコが宍岡家と反りが合わず、かといって迎合もせず、単身で全て捨てて出ていってしまえたのもまた「意地」によるものだったのでしょうか。
衛子が家を捨てた時、彼女はまだ歩き始めたばかりという齢の幼い妹とも縁を切ったことになります。しかしdouble shadowの舞台でめぐり逢い、彼女は以前と同じように妹を大切に想い、同じ道を歩んで欲しいという自分の願望を捨てきれないで苦しみます。この辺りのチグハグな動きは、当時の彼女の無鉄砲さを感じなくもありません。
十年近くの空白期間を隔ててはいるものの、作中でのエーコのジップステップを想い、一緒に生きていきたいと思う気持ちは本物でした。しかし……ジップステップの回(ジップステップ編「朗読劇魔法少女育成計画double shadow」感想③ - すふぉるつぁんど)でも書いたように、朗読劇版のジップステップは最期まで「人小路の因縁」の中にある幸せを選んで死んでいきました。満足死の一種ではあるだろうと思うのですが、エーコからすると全然納得がいかないところではある。
しかもジップステップはエーコが姉であることに気付いていて、それでもなお自分との未来ではなく、人小路庚江を守るため命も厭わないことを選び、生まれ直してもそうすると断言します。あああ……。
これはかつてエーコ自身が妹のことを大切に、それこそ「光」のように思っていながら、それでも妹を連れて行くことはせず、自分一人で出ていった行動が因果として返ってくるような展開です。ジップステップはエーコの望みなどとは関係のないところで、意地でも庚江お嬢様に尽くす自分を握りしめていました。どっちもどっちで我が強い……。
そうしてエーコはジップステップと死に別れます。この状況でのプフレは、エーコにとって(元々人小路という存在自体気に食わないのに)ジップステップの人生を歪めた上に命まで落とさせるきっかけになった、色々と諸悪の根源のような存在なんですが、ここからエーコが八つ当たりでプフレを殺しに行かずパムに向かったのは……せめて妹が守ったものを自分の手で奪うまいという判断なのだろうか。そう考えると尚更やるせない。
原作小説でのエーコもグチャグチャになっていますが、朗読劇もそれはもうグチャグチャです。ここで「こんな世界なんて……妹のいない、世界なんて」*8とか言っているのはもういよいよヤケクソ感がある(元々家族を捨てて名字を変えて妹のいない世界で生きていた人であるので……)んですが、ここは一人きりではなく妹と手を取って生きていく未来を夢見てしまったからこその反動のような部分があるんでしょうかね。
「登場して、死ぬ」という流れにどうしてもなりやすい朗読劇初登場魔法少女の例に漏れず(というか朗読劇で初出した魔法少女が今のところ劇中で全員死んでいるので例外が存在しない。なんてことだ)、エーコもまた朗読劇という過去短編で死んでしまった人ではあります。ですが彼女はベテラン魔法少女という経歴上……まだ……短編発生余地が大きいのではないでしょうか!?
というわけで自分はエーコが他の傭兵魔法少女とかサラリー魔法少女とかそのへんの一般魔法少女とかと絡んでる短編を待ち望んでいます。何かの間違いでもな子VSエーコとか発生しないだろうか。杖道者だし。半グレだし。子とコで似てるし……。
魔王パム
最後は魔王パムについて。まず、朗読劇第三弾に魔王パムが登場する……というのは告知時点でかなりの驚きでした。プフレとシャドウゲールの過去編というのがそもそもの前情報としてあったので、そこに接点あったんだ!? とかプフゲルの過去に魔王パムが居たらクラムベリーどうなっちゃうんですか!? とか色々考えていました。
蓋を開けてみたら接点と言ってもほぼニアミスのようなものでしたが、もしかしたらプフレならlimited時点でゴタゴタに巻き込んで間接的に魔王を殺した時もdouble shadowでの出会いをしっかり覚えていたかもしれません。後日restartを含む一連を振り返って妙に魔王に縁があるな……とかも思っていたかも。プフゲルはのっこちゃんと魔王パムという作中の「魔王」2名と縁がある稀有な人達なので。
朗読劇での魔王パムは、冒頭にて「寂し気な街はずれに弾ける、激しい爆発」*9という物騒な描写、そして爆発エフェクトと共に登場します。直前でのシャドウゲールの呑気な「私は魔法少女なんですから。おかしな暴漢や大爆発にまきこまれたって、ひょいっと魔法で簡単に解決できるんですから!」*10という世間をナメている(本人の資質的に全力で準備をしたら「ひょいっと簡単に解決」は可能ラインかもしれないのがまたアレ)セリフから魔王パムVSエーコへとシーンが映るのが鮮烈でよかったです。
魔王パムは朗読劇では(アニメ声優を除くと)唯一の演者続投で、unripe duetで魔王パムを演じられた茅原実里さんが引き続き演じられています。前作では非戦闘モードでいわゆる「おばあちゃん」的態度(リップル談)でしたが、今回はバチバチに戦闘モードの魔王パムを見ることができました。
これがもうすごく楽しかった! 魔王パムは、一般魔法少女の枠組みで言えば作中でも規格外の最強ポジションで、なおかつオンオフもあり、性格も色々と癖があり、難しい役どころではあると思うのですが……舞台の上での魔王パムは強者としての説得力をビシバシに感じて、一挙一動が見ていて楽しかったです。
その説得力を増していたのは言うまでもなく茅原実里さんの堂々たる演技があってこそのことですが、同時にアンサンブルの方々や演出での力もあったように思います。これはかなり嬉しい驚きだったんですが、魔王パム、舞台演出との相性がいい……! 物凄く良い!
黒い旗を「四角くて黒い羽」という魔王を象徴する要素として表現するの本当に良い。これを観ただけでもう朗読劇来てよかったな~となる瞬間でした。今回が初めてとなる客席を走り抜ける黒い羽の演出もまた「魔王」だからこその力という感じでよかったです。
そんな冒頭シーンで、まず披露された魔王の「巨大な門衛(ハダーニエル)」にテンションが高まったのは言うまでもないことです。ハダーニエルはlimitedの既出技であるため、朗読劇中での説明がそれほどなくとも(原作読者であれば)何が起きているのか感覚的に理解できるんですよね。魔王がまず初手に防衛を選んだというところからも戦闘相手の油断ならなさを感じていました。
逆に初出魔法名には何が起きているんだろうというワクワク感もあって、魔王の戦闘シーンには楽しみのバリエーションが広かったです。「流れ星(コカビエル)」が着弾爆発から倒しきれてなければオート戦闘までやる技なの盛り沢山すぎる。
そこで魔王の羽一枚を処理されて逃げられたものの、エーコという強敵と巡り合った魔王は始終楽しそうでよかったですね。というか逃げられたからこそあんなに楽しそうだったと言える。魔王パムの羽というものは、スタイラー美々がそれっぽい黒い物体と対面するだけで割と絶望的な気持ちになる代物で、つまりエーコの実力は折り紙付きであるということがよくわかります。
「メイは魔王パムからも逃げた」
「それはそれは……素晴らしいな」
「よく褒められる」
「履歴書に記しておくといい。魔王から逃れ得たという経歴だけでどこの部門にも即戦力として迎え入れられるだろう。特に人手不足の監査であれば……」*11
後々には魔王直々に塾講師としてスカウトしようとするところまでいっていた。返す返すもエーコって本当に強かったんですね。エーコがもしここで勧誘に頷いていれば、(少なくとも彼女に関しては)生存の目もあったのかもしれない……ですが、決戦前の魔王の誘いなんて頷いたところで結局ゲームオーバーになりそうな気もする。
まあでも魔王塾って初心者集めて殺し合いさせてる異常者とか、その異常者の真似事してスノーホワイトにボコられた異常者とか、殺した魔法少女の首でリフティングするヤバい半グレとかを平気で擁していたわけなので、ここに魔王パムを殺そうとしてた元半グレ傭兵が紛れ込んだところで別に誤差の範囲かもしれません。後々に自分を襲ってきた暴力グループに対して「ああいう、反社会集団というんですか?」*12とか空とぼけたことを言ってた魔王パムはどこまで本心だったんだろうな……。
そこから多少時間は飛んで(朗読劇中の魔王の登場シーンは比較的少ない)、魔王パムの登場は彼女が主催する格闘イベント会場の下見をしている場面に移ります。と言ってもそれを名目に魔王は自分が取り逃がした強敵ことエーコを探していたのですが。
無理に横車を押そうとはせず、角が立たないように取り繕いつつ、その実若干欲望に忠実にエーコ探しをしているのは色々魔王らしいなあという感じ。この辺についても小説版により詳細な言及がありましたがそれはまた別の記事で。
そこでの捜索の努力の甲斐が実り、魔王パムは廃遊園地に走る光線を発見し、エーコと戦わんと乗り込んできます。ここの魔王は初心者魔法少女であるプフレ・シャドウゲール・ジップステップに若干配慮して、エリア全体を破壊するような大規模魔法は使っていない……らしいですね。まあこの場でもう一回流れ星したら大変なことになる。とはいえ朗読劇版だと普通に観覧車倒壊して大惨事なんですけど……。
一度はジップステップに影を踏まれ、三枚の羽を縛られた魔王パムでしたが。「明けの明星(ルシファー)」の声でもう何をするのか理解できてしまうというか、羽を光に変えるのはlimtiedで既出なためこの展開は予期できてしまったというか……。ここでの「お前だけが光を操るわけではない」*13の言葉は残酷です。
プフレとシャドウゲールという魔法のレア度♡1&5の相当珍しいコンビが主軸となるためより一層際立っている要素ではありますが、魔法少女育成計画における魔法のレア度って、時に努力ではどうしようもないレベルの「できること」の違いを生み出してしまうんですよね(それはそれとしてレア度の低い魔法が大下剋上的にレア度の高い魔法をピンポイントに凌駕しうるのも面白みではあり、ここの残酷さとの裏表構造で良い)。
魔王に関しては強さ・自由度共に絶対的トップクラスの堂々たる魔法のレア度♡5で、勿論光を放つことも、光線を撃つことだって簡単にできます。ポテンシャルがそもそもにして違いすぎる。相手が光と影で自分を制そうとするのなら、自分も光を操ってやればいい。簡単にそういう解決法を取れるのが魔王の魔法です。
既にブログ内で何度か書いている内容ではありますが、固有魔法という概念とそれに対する魔法少女の意識……のような部分には個人的に地味な関心があります。「自分の魔法がしょぼい」ことを共通点とする魔法少女の集まりなんかもあるし、勿論魔法少女は魔法が全てというわけではないものの、場合によってはコンプレックスや自信の土壌になりうる要素だと思うんですよね。
その上で、ポテンシャル最高の魔王パムがここまで堂々とした振る舞いで、エーコの魔法を模すような形で攻略してみせるのは……絶対王者的な挙動で痺れました。やっぱり強いものが強くしている様子を見るのはいい。
その後の展開についてはジップステップの回でちょっと書いたのですが、ここからの魔王は……結構……エーコに攻撃するのを待ってくれています。すごい。
(一旦ジップステップの関係性処理パートを挟んだ後)エーコの若干八つ当たりに近い激情をぶつけられて、それに対して特にジップステップを殺したことに対する言い訳や謝罪もなくただまっすぐに「……来い、光線使い」*14と返すところもまた本当に本当に格好良かった。
本人の内心にはもしかしたらジップステップを巻き込んで殺してしまったことに気が咎めるところはあったかもしれませんが。その弱味を表には見せず、自棄になっているエーコにきっちり引導を渡しに行くのは、圧倒的強者としての責を果たすような振る舞いだったなあと感じます。なんやかんやあれど魔王パム本人も割に楽しそうでよかった。
千秋楽版では、この一言を最後に演者の茅原実里さんが音を立ててパタンと台本を閉じていました。魔王がもう喋らないということは、ここから先の番狂わせはもう絶対に起きないということ。エーコはまだ独白を喋ってはいますが、その挙動で残酷にもこの戦いの終局を伝えられたような気がして、物語自体とは関係ない部分ではあるんですが、その潔い振る舞いがまた魔王の格好良さに通じるような気がして……印象的でした。
昼の部では演者の茅原実里さんがジップステップ周辺のシーンでもらい泣き的な涙を見せつつも、その感情を演技には載せずに魔王を貫いた姿もしみじみと良かった。魔王パムはプフレ&シャドウゲール、ジップステップ&エーコという対立ペアからは少し外れたところにいる、なかなか大変な立ち位置だったろうなとは思いますが、この戦闘モードの魔王パムを見られたのはすごく良い思い出になりました。格好良かった……。
はい。これで朗読劇の感想は終了です。楽しかった……。改めて素晴らしい舞台だった。今まで考えなかったようなことを考えたり、動かなかった感受性の筋肉を動かしたりしたような気がします。それってすごいことですね。
というわけで次回は原作小説こと「魔法少女育成計画double shadow」のプフレの感想です。うおーーー原作小説の感想も物凄く書きたかった!! 長くなります! また次回!
*1:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画breakdown(後) No.3208 宝島社,2021.5.20(ebook)
*2:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.41)オッドエンタテインメント
*3:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.50)オッドエンタテインメント
*4:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.54)オッドエンタテインメント
*5:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.63)オッドエンタテインメント
*6:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.55)オッドエンタテインメント
*7:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.34)オッドエンタテインメント
*8:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.81)オッドエンタテインメント
*9:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.6)オッドエンタテインメント
*10:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.5)オッドエンタテインメント
*11:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画breakdown(前) p.267 宝島社,2021.3.11(ebook)
*12:公演台本「魔法少女育成計画double shadow」(p.39)オッドエンタテインメント