すふぉるつぁんど

主に遠藤浅蜊著「魔法少女育成計画」シリーズについて書き残していくブログです。

プフレ編「(原作小説版)魔法少女育成計画double shadow」感想①

 

 まだまだdouble shadow感想は続きます(朗読劇良かったハイでひたすら感想を書き続けている……)。今回からは朗読劇ではなく原作小説の「魔法少女育成計画double shadow」の感想です。

 何度か書いていることではありますが、魔法少女育成計画double shadowは朗読劇版と原作小説版で展開が大きく異なります。プフレとシャドウゲールの視点描写についてもまた原作小説にしかない要素が数多くあり、というか原作では「プフレとシャドウゲールの感情の機微」自体が物語の主題の一部という印象がありました(朗読劇版だとそういう要素もありつつもジップステップ/宍岡守を軸とした人間関係ドラマの面を強く感じた。修羅場もあるし)

 つまり……原作小説版「魔法少女育成計画double shadow」は、プフレとシャドウゲールが大好きな人間にとって物凄く重要度の高い物語だったということです!

 

 朗読劇版プフレとシャドウゲールは(アドリブ含め)カジュアル・コミカル寄りに関係性が表現されていて、それはそれで(舞台で二人を初めて見る人の存在が割と想定される)朗読劇という環境にチューンされており楽しかったな~という感じでした。

 で、原作小説版は……何と言うべきか、難しいんですよね……! ちょっとした描写や独白などから二人の関係性や思考を読むことが改めてしみじみと難しく、そして楽しかったんですが。それこそ紗幕の向こうにあるものを見ようと目を細めているような、「わかった」とはとても言えないものを手探りで探っているような感覚でした。プフゲルが出てくる度に毎回これやってるな……。

 そんなこんなで原作小説をすごく楽しく咀嚼しています。楽しすぎて初読して数日でデジタル写経というか手動自炊しました。外でも読めるのでかなり良いです。

 というわけで今回はプフレについて。相当まとまっていない気配があり、長いです。以下感想。

 

 

 

 プフレの視点がこんなに読めるとは思わなかった……!

 原作小説での嬉しい驚きのまず第一にこれがありました。若い庚江! 推定女子中学生時代! 試験前の空気感! うおお全てが新鮮で、そして懐かしく、良い……!

 restartを初読した時(まだそれじゃそうするにゃんがどうとか緊急停止スイッチがこうとかシャドウゲールお姉ちゃんがこうとか私達のこれまでとこれからがこうとかそういう諸々が存在しなかった頃(こう考えると切実に波乱万丈だな……))の、ほぼ女学生主従魔法少女としての要素しかない、プフレとシャドウゲールの試験でのすれ違いや日常(の妄想)に湧いていた頃を思い出しました。何か色々とリバイバルして2013年頃の精神になっていたりしているんですが、double shadowはしれっとQUEENSの展開に明らかに通じてくる要素が混入してたりもして、懐かしく新鮮でかつ苦しいという大変カロリーの高いお話でした。

 

 double shadow時点の人小路庚江はrestart(高1)から逆算して恐らく15歳以下です(守が幼稚舎で付き人を解雇され護が後任の庚江付きとなったのが推定4or5歳、護と十年少々の付き合いだという庚江の独白から順当に考えると14-15歳が妥当か)。まだ多分人殺しをしていない時代のプフレ、本当にかわいく、読み返す度にこんなかわいい人がこの後返り血で全身真っ赤にしながら全員騙すか・殺すか・殺させるかして試験合格するんですか!? というところに慄いてしまう。

 なので(?)メインで書いておきたいところより先に「かわいい」の話をしておきます。本来は順序を逆にしたほうが良いんですが、あまりにもかわいい要素が多すぎるので……。

 

 

 まず言うまでもない「かわいい」のこととして、プフレとシャドウゲール/庚江と護の掛け合いの良さがあります。原始的なプフゲルの魅力と言ってもいい。

 朗読劇でも見ることができた「人生を損ないたくないからしがみついているんですよ!」*1あたりのやり取りとか、プフレの弁償ジョークとか(それを「口調が軽い。明らかにからかっている」と評するシャドウゲールもすごくいい)「そうかな。余計なことを考えていそうな顔だったけどな」「生まれつきこんな顔なんです」*2という庚江側に少しあどけなさのある会話とか(かわいすぎる)、ちょっとしたやり取りがもう相当楽しい。セリフを集めてみると、今作のみならずプフゲルって割と皮肉・冗談の掛け合いが多いコンビで大好きです。

 上に引いてきたのはシャドウゲールがツッコミ側になるようなやり取りですが、クライマックスでの物凄くシリアスなシーンでは「敵か味方か……ってやつですか」「君意外と余裕あるな」*3と、プフレがツッコミ側に回らざるを得ないような言動をシャドウゲールがやっていたりする(ここつくづく予想のつかない言動すぎて本当に好き。この後でちゃんと遡って宍岡さんですよね?のやつを怒られているのも良い)のもまた一筋縄では行かなくて良いんですよね。何なんだ本当に。

 

 続くかわいさで言えば、庚江がちょっと世界観を狂わせるほどのファンタジー大お嬢様であらせられることです。正直なところ人小路家情報がここまで掘り下げられるとは思っていなかったので、まさか朝食の風景まで知ることができるとは思いませんでした。邸宅が町サイズあることを完全に話半分だと思ってたけど本当でした。嬉しすぎる……。

 いやあ改めてすごい家に生まれていた。人小路庚江はもう本当に正真正銘の超弩級お嬢様で、付き人だって複数候補がいるし、本邸敷地内に使用人用の集合住宅があるし、庚江の部屋(そしてそのすぐそばに作られた護の部屋)はその邸宅の最奥にあるし、ベッドは天蓋付きだし、朝食は使用人に給仕されながら家族で取るし。冒頭のシーンでは護が庚江にコーヒーを淹れ、庚江がそれをそれなりに満足そうに飲む描写もありましたが、あの豆も勿論のことながら超一級品なのだろうな……と思います。

 

 その家に生まれついた者として、庚江は人小路という名前を背負っていくことをごく自然に受け入れています。求められることも、重圧も大きいものでしょうが、庚江が自分の生まれに反発したり複雑な心境を抱いているような様子は一切ありません。

 むしろ将来的には人の上に立つことを求められることを重々承知したうえで、どうもそういう資質には欠けていそうな護を付き人として側に置くことに悩みを抱いていたりもしています。

 これは初読時驚いた要素でした! double shadow以前まではこう具体的には考えもしなかったことですが、この時点の庚江はまだ「護さえいればなんだっていい」という思考ではないんですよね。

 

 

 プフレにフォーカスを当てた時のdouble shadowは、プフレが「護さえいればなんだっていい」*4という明確な結論を出すまでの物語と言っても過言ではないと思います。それが具体的にどのタイミングだったのかという話をしたいんですが、そのために一旦double shadowでのプフレ/庚江への所感を振り返っておきます。

 

 double shadowのプフレは、一言で言えばまだ未成熟な存在だと感じました。のちのシャドウゲール第一的行動指針もまだ定まってはおらず、魔法少女という概念に対する認識も探り探りという状況で、人の表情や動作から感情を読み取る固有能力もrestart時点ほどには磨かれていない「私も……もう少し人をよく見ることにしよう」*5。まだ色々とやわらかくて成長途上。作中でしばしば堂々と不機嫌さを見せ、イライラしていて、口が悪いのも、今作のプフレに幼気を感じる理由の一つかもしれません。

 魔法少女という見知らぬ大きな力に遭遇して、自分の認知していた世界が狭いことを思い知ったと考えれば面白くない想いをするのも当然といえば当然なんですが……魔法少女になってこんなに不機嫌な人もそうはいないんじゃないだろうか。

 restart以前のプフレが魔法少女活動にそれほど意欲的ではなかったのは知ってはいましたが、ここまでのものとは思いませんでした。車椅子ドライブにはまあまあ楽しそうにしていましたが、人の身では叶わぬ亜音速を叩き出す固有魔法にそれほど浮かれる様子もなく。シャドウゲールの魔法にはむしろやや引き気味で、途中では「シャドウゲールを魔法少女にし、プフレもそれを覚えたままでいる。これが最も良い」*6と、記憶を保持できてさえいれば自分が魔法少女になる必要性はないような態度すら見せています。魔法少女へのやる気が低すぎる……。

 

 作中の不機嫌な様子だったプフレの話に戻ります。QUEENSまでの彼女を経てきた上で読むdouble shadowのプフレって、色々感情表現が露骨というか、見える範囲での感情の起伏が大きいんですよね。プフレといえば印象的だった笑顔の鎧も今作ではそれほど見えないというか、むしろ「滅茶苦茶に難しそうな顔」*7をしたり、シャドウゲールを睨みつけたりと、自分の感情も素直に顔に出して見せているようでした。

 restart時点では激怒している時もずっと笑顔で、彼女の表情からはほとんど感情が伺えなくなっています。restartに輪をかけて「緊急事態」性が高いACES・QUEENSでは、危機的状況下(シャドウゲールが誘拐されて、自分の記憶が覚束なくてと、現状への不満足度で言えばdouble shadowを凌駕しているかもしれない)でのプフレ視点を読むことができますが、その時の彼女は表情の域を超えて地の文の上ですら、明確に自分の感情・感傷を遠ざけたうえで事の対処にあたっています。

 

 この違いは結構印象的でした。double shadowでは護に「気持ち悪いな」と言うストレートな口の悪さからスタートだったのに、ACESではグラシアーネの言葉に物凄く露骨に苛立ってもなお(場を凍りつかせる)笑顔とまだ建設的なセリフで済ませていて、直接的な表情・言動に感情が乗ることはそうそうありません。嫌な進化をしていないか?

 これは相対的にdouble shadow(の前半)は命の危機度合いが少ない、緊急事態ではないからこそのことかもしれません。普段のプフレはもう少し自分の感情を抑えつけずに、割にわかりやすく怒ったり拗ねたりしているのかも。

 

 

魔法少女には一人しかなれない。庚江と護が同時に魔法少女になることはない。そのことを知らされてから庚江と護の間は上手く噛み合わなくなった。庚江は普段以上に口が悪くなっている気がした。そしてそれを自分で制御し切れていない。
理性をもって感情を統率しようとすることの愚かさは幼稚舎に上がる前から知っている。だからといって感情が流れるままにしておいていいわけではない。せめて統率しようとしているふりくらいはできなければならない。*8

 

 プフレの「感情」と「理性」については、double shadow内でも少し言及がありました。この部分を読んだ時、「せめて統率しようとしているふりくらいはできなければならない」を、本当に「できるようにした」のがこの先の本編で見られるプフレだったのかもしれないと感じました。

 double shadowでも既に、エーコに降伏する時には「恐ろしいほど落ち着いている」*9とジップステップから表現されるような沈着さを見せています。これを地の文上でもやり通したのがACES以降のプフレだったように思います。

 

 ただここでのプフレは感情を制御することを「愚かしい」と判じており……。ACES以降で見られたあの物凄く抑制の効いたプフレは、思っていた以上に「無理をしていた」姿だったのかもしれません。いや冷静に考えて無理してないわけないんですよね。無理してないわけないのに、プフレがあまりに平然としているので、まるでそれが彼女にとっては当たり前のスキルなのかと思っていた。

 

 自分の感情を制御するのは、プフレにとって当たり前のことではなかった。そう示唆させる描写は、本編の他の部分でも確認できます。

 QUEENSでスノーホワイトに手を斬り割られた時のプフレは、その後その痛みを感覚として地の文に上げないまま、意にも介さず車椅子を走らせ続けますし、致命傷を受けた際の苦痛への言及も限りなく最低限と言えるものです。対してdouble shadowでのプフレは、シャドウゲール製のバリア越しにエーコの光線を食らったところで「遠くなりかけた意識を必死で繋ぎ止め」*10ているんですよね。必死で!

 シャドウゲールに殺されかけた時も、実際殺された時も、どこか痛みと意識を切り離しているかのような描写の上にあったプフレの……そんな泥臭い負傷描写が読めるとは思わなかった。改めて滅茶苦茶に無理を通してきたんだなあと思うと同時に、double shadowでの(それほど覚悟を決めて無理をする意識も必要性もまだない)プフレはやはり幼くやわらかい存在だったなあと感じます。

 魔王パムの感想では「強いものが強くしていること」の良さに少し触れましたが、原作小説版のプフレ/庚江に関しては、むしろこの時点での未熟さを見たことでかえって最終的な強さに衝撃を受けました。数年でこんなことになっていたのか。そしてこの状態から試験で全員潰したのか……。

 

 

 そろそろdouble shadow本編の話に立ち返るとして。今作のプフレは幼さの有り余るままに堂々と不機嫌で、彼女の苛立ちは大抵シャドウゲール/護の方に向けられています。そもそも魔法少女という概念が気に食わないのに、なんだかシャドウゲールとも上手く噛み合わない。その理由はプフレとシャドウゲール双方の側にあります。

 というわけでプフレは「魔法少女になる」という大イベントをきっかけに、自分の感情を整理しなおします。魔法の練習をするという名目で気まぐれに車椅子を走らせた先にあったのは、元「思い出」の場所たる廃遊園地。ここでの二人がそれぞれに遊園地の思い出を振り返るシーンは、プフレの感情を読むにおいても、シャドウゲールの感情を読むにおいても、非常に重要なものではなかったでしょうか?

 シャドウゲール側については別日に書くとして、プフレの側が何を考えていたのかについては本人がはっきり明言しているのでわかりやすいですね。(余談:ついでに言えばプフレが保持している記憶が明瞭すぎて別の意味でもわかりやすいというか読みやすい。プフレがかつて「私は一度見たものを忘れない」*11と断言していたのって誇張表現ではなく単純な事実というか、本当に(記憶操作さえされていなければ)絶対的な記憶を持ち続けていられる自信がある人なんでしょう。プフレにとっての記憶は「どこまでも曖昧」なものなどではなかった。それなら尚更「試験で落ちたら魔法少女のことを忘れてしまう」ことが容認し難いこととして引っかかっただろうな~という部分でもまたシャドウゲールと噛み合っていなくて良い)

 

[……]あまり良い思い出ではない、と思える遊園地に郷愁を感じるのは単なるセンチメンタリズムではない。そこには庚江よりも楽しんでいる者がいた。だから庚江もそれなりに楽しかった。
「うん。わかってきた気がするな」*12

 

 ここの部分で、プフレからシャドウゲールへの想いがかなりはっきり表現されています。プフレ/庚江はシャドウゲール/護と居れば、一人では楽しくないことですら楽しくなってしまう。単に護が「面白い」存在であるという以上に、それくらい庚江は護と一緒にいるのが好きだし、一緒にいたいんですね。なんだかもうただそれだけでいいくらいシンプルな想いです。

 そんなことも「わかっていなかった」のは、庚江がそもそもにしてこれまでは護との別離をそれほど真剣に考える必要がなかったからです。「護が楽しんでいて、だから庚江も楽しかった」という(単純とも言えるような)答えを改めて出す必要もなく、自分と相手の身分上、庚江は自分が強く求める必要もなく護と一緒に居続けることができた。だからこそ「結論を先送りにし続け、ここまできた」*13

 

 しかしそろそろそうも言っていられなくなってきました。避難訓練での転倒事件や、魔法少女試験で不合格になると魔法少女関連の記憶を失う(=二人の間に共有できない事柄が発生する)という告知、自分が将来求められる立場を考えた時の「楽しい話し相手としては最適であってもビジネスの場でパートナーになる、となれば話は変わる」*14というまあまあ厳しい現実などでもって、プフレはその答えを具体的に出す必要に迫られました。

 ただ、「合格者が一名の魔法少女試験」という急発生したイベントがなかったら、プフレがこのタイミングである種急いて答えを出そうとするようなこともなかったのではないでしょうか。魔法少女にならなければ、庚江はこのあたりの自分の感情を明確化する必要性もなくなあなあにして、護を手元に置きながら(護ビジネス向きじゃなさすぎる問題については(文字通り)ビジネスパートナーを別枠で用意してしまえば何とかなりそう)人小路の一翼として活躍していく未来もあったのではないだろうかと考えてしまいます。だってかなりなあなあに守のこと手放さなかった人だし……。

 庚江って人の身においてはだいぶオーバーパワーサイドの存在(亜柊雫や芝原海などと近い、どちらかというと人間状態のほうがむしろ非現実的な人達)ですし、それができるだけの資質はあっただろうと思います。そうはならなかったんですが。

 

 

 さてクライマックスシーンまで話を移します。最終盤での遊園地では、それまでの比較的平和でゆっくりとした話運びから一転し、一気に展開が動きます。エーコという圧倒的格上存在を連れたジップステップに襲撃され、ホラーハウスに逃げ込もうとしたものの追い詰められ、シャドウゲールの爆弾発言で場が凍りつき、そこに核攻撃を想定して用意したホラーハウスシェルターを平然と突き破り第三陣営・魔王パムがやってきてもう大変。

 試験以前の新人魔法少女未満にはキャパオーバーになりそうなてんやわんやです。直接的に殺意こそ向けられなかったとはいえ、遊園地は倒壊し、火の手が上がり、どこかのタイミングで重傷を負ったり命を失ったりしてもおかしくないような状況でした。

 

 そして実際に犠牲者は出てしまった。魔王パムの攻撃により命を落としたジップステップを弔い、崩れ落ちる遊園地の中でプフレが最後に呟いた「月が綺麗だ」*15の言葉は、文字通りの意味だと考えれば、その状況を鑑みるとやや不自然なものです。

 そんなタイミングで差し込まれていることと、月の描写がクライマックスの冒頭・最後でわざわざ2回言及されていることから考えても、これはまあただ月が綺麗という情景への感想だけの意味合いではないのでしょう。

 

 ご存知な方も多いでしょうが、「月が綺麗ですね」は、インターネット俗説では夏目漱石が言ったとされがち(出典不明)「I love you」の意訳として有名です。夏目漱石が言ったか言ってないかはさておき、プフレがそういう意味合い(直訳的な=loveという意味というより、「それでもなお、自分は護と一緒に居たい」という意思表示)を汲んでこの言葉を口にした可能性は十分に考えられます。

 その言葉を発したのが月を見るどころではないシチュエーションなのは、やはり感情表現が素直ではないというか、自分の中で完結していて肝心の護には自分の想いを伝える気がろくにないというか……。これが真偽不明というか偽寄りの俗説で、自分の感情を託すことばとしてもひどく曖昧(読書家のプフレなら、堂々と書物から引いてこられる「愛」の表現などそれこそ数え切れないほどあるでしょう!)なものというのもまた、意図してのものかは不明ですがプフレのひねくれ感を感じます。シャドウゲールが反応するか反応しないか微妙なラインをチョイスしたのだとしたらひねくれ度合いがすさまじすぎる。

 

 そういう仔細部分はともかくとして、「月が綺麗だ」という言葉は、プフレの出した一つの結論だったのではないでしょうか。自分が護と居るだけでただ楽しかったことを理解し、シャドウゲールのことを咄嗟に庇う姿勢を見せてしまうくらいには大切で、一緒にいたくて、二人でこの先の道を進んでいきたい。それがたとえ(ジップステップを初めとする)多少の犠牲を生んだとしてもそうしたい。

 プフレはあの場で、そういう形の結論を下したんじゃないかな……と思います。

 

 

 ただそれでも、自分はこの時点ではまだプフレの出した結論は「護さえいればなんだっていい」ではなかったと思うんですよね。

 この記事の冒頭でdouble shadowは『プフレが「護さえいればなんだっていい」という明確な結論を出すまでの物語』とか書いておきながらなんなんだという話なんですが、それでも……どうしても、「月が綺麗だ」と「護さえいればなんだっていい」の間には絶対的なギャップがあるように感じたんです。

 

 そのギャップについて言語化するためにクライマックスシーンを遡ります。ジップステップが魔王の攻撃を受け、致命傷を受けて吹き飛ばされた時。プフレは、危機的な状況下で、それでも「守を助けるため」に車椅子を走らせます。

 

身を屈めて近寄り、倒れている守を掴み取った。既に変身は解除されている。人間だ。速度を落とさず車椅子を走らせる。だが彼女の体を掴んだ時、既に手遅れであるということを知った。体温が逃げていく。出血が激しすぎる。恐らく内臓が傷ついている。

[…]

聞こえたかどうかはわからなかった。だが耳元に口を寄せて一言だけ別れを告げた。そもそもこうなってしまったのは彼女のせいだったかもしれない。なにを思っていたのか今となってはもうわからないが、それでも付き合いの長さが変わるわけではない。*16

 

 あ、甘い……!

 double shadowって「ここは」と思う描写が本当に多いんですけど、ここもすごく……プフレの話をする上で重要な部分です。原作小説上でプフレからジップステップへの感情が見えるシーンは限りなく少ないのですが、引用の箇所は淡々としていながらにしてやっていることはかなり強烈かつ特殊です。このシーンがあったからこそ自分は朗読劇の物語を飲み込めたのだとすら思います。

 この直後、プフレは背後で起きた爆発の衝撃を背中に受けて吹っ飛ばされているんですよね。つまり全然安全が確保できていない状況で守のことを助けようとしていたんです。しかも人間態に戻った彼女の身体を掴んだ時点でもう「手遅れだ」ということを理解していたのに、その身体を離さずに掴んだまま(ジップステップ視点の描写的には抱きかかえて?)車椅子を走らせている!

 もう守は助からない、死んでしまうと理性では理解した上で、それでもプフレはその手を離すことができなかった。これを感傷と言わずして何と言うんだと初読時にかなり慄きました。リターンが返ってこないと理解している上でリスクの高い行為をやっているプフレを見るのは、非常に珍しいことでした。それもシャドウゲールを連れてやっているのは余程です。

 

 

 原作小説側のジップステップって、本当に何を考えているのかプフレ側からはあまりよくわからない、ただ尋常ならざる武力とともに襲いかかってきた謀反者なんですよね。情状酌量の余地なら全部ぶちまけた朗読劇版の方がまだ余程ある。

 しかしそんなわけのわからないまま消えていったジップステップに対して「それでも付き合いの長さが変わるわけではない」とするのは……かなりの甘さではないでしょうか。この状況で付き合いの長さが関係することある!? と思うんですが、プフレにとっては重要ごとなんですよね! なぜならプフレは身内を大切にするからです。

 

「プフレは身内を大切にする」というのは何だかんだで長く繰り返し語られてきた要素です。数日の付き合いだったマスクド・ワンダーを殺されて「報い」を受けさせようとする。護からも「彼女は身内に手を出す者をけして許さない。身内というのは家族や親族ということではなく、近しい者全般を指す」*17、「庚江は嘘吐きで気まぐれで悪魔的というか護にとっては悪魔そのものだが、身内を大切にするという一点ではブレが無い」*18と、何度かそのスタンスに言及がありました。別に護相手に限らず、プフレは自分が身内判定を下したものを庇護しようとする傾向にあります。

 上でのあまりに甘く非理性的な挙動を思い返してみると、庚江は守のこともまた「身内」の一人だと思っていたのではないでしょうか。

 

 ですが庚江は、再び付き人に戻ることを目指して鍛錬を積み続ける姿を「痛々しい」と思いつつ、それでも彼女を解放することはなく、自分の近くにいる使用人として閉じ込めたままにしていました。

 返す返すもかなり独りよがり(というか人権無視というか)な扱いなんですが、あれは庚江が護への自分の感情をなあなあに誤魔化していたのが悪影響していたのかもしれません。自身の感情の整理がまずついていなかった影響で、元付き人である守の扱いもまたなあなあになり、しかし守に「身内でいてほしい」という愛着があるためそこから解き放ってやることもできなかったのかな……と思います。この辺は相当空想なので話半分で……。

 

 

 さてこの「身内」関連の描写を考えた時、明確に食い違うのが試験でのプフレの姿です。クラムベリーの試験内でのプフレは、長らく同盟を組んでいたという、いうなればrestartにおけるマスクド・ワンダーかそれ以上の存在だった魔法少女を背後から撃ち殺します。

 これは例外的に「身内を大事にする」よりも「シャドウゲールと共に生存する」がはっきりと優先された瞬間です。この挙動はプフレの優先順位を端的に体現しています。自分には身内を大切にするポリシーがあるものの、その身内のために生存枠を3枠にしようとするようなことはしない。全てにシャドウゲールの生存が優先されます。

 百人試験のプフレの姿と比較した時、遊園地時点のプフレは全く……そうではない。守のことはリスクでしかないのに助けようと動いてしまっていた。だからあの時点ではまだ「護さえいればなんだっていい」ではなかったのではないかと思うんです。

 

「護が魔王なら、それでも別に構わないと思っていた。私は誰が魔王であれ護に有利な立ち回りさえしていればそれでよかったのだ。護が魔王であれプレイヤーであれ、生き残れたならそれでいい。魔王ならプレイヤーを殺すのに協力してやるさ」*19

 

  こうしてシャドウゲール生存第一目標CO中のプフレの言葉を見返した時、「護さえいればなんだっていい」というのは、パッと読む以上に凄みがある宣言です。

 restart時点のプフレには、double shadowでの彼女が遊園地で見せていた、護を攻撃から守るという受動的な守護姿勢ではなく、必要があれば躊躇いなく自分の命を能動的に消費する覚悟があります。極論、シャドウゲールが生きられるのなら自分さえいなくてもいい。一緒にいたいではなく、自分自身を犠牲にしてでも護にただ「いてほしい」

 こうしてrestartでの重すぎる言葉を振り返った時、「護と一緒にいることが楽しい」という認識(つまり自分と護が一緒にいることが前提)で自分の感情への理解を深め、身内である守を咄嗟に助けようとしていた遊園地の時点では、あのQUEENSまで一本筋が貫かれていた「最終的に護が生きてさえいればいい」的思考に至っていたとは……やはり自分にはどうも考えにくかったんですね。

 

 

 ではプフレがその結論を下したのはどこなのだろうと考えた時。ここからはもういよいよ想像の領域が大きくなってくるのですが、double shadowのエピローグ的な第6章、クラムベリーの試験が開幕し、参加者は三桁人数、そして試験内容が「全員で戦って生き残った一人だけが合格する」凄惨な殺し合いだとプフレが知った後の、

 

不本意だがね。我々は生き残る。死にはしない、絶対に。そう決めたんだ」
 車椅子が動き出した。枝を踏み、石を潰し、山裾をこっそりと移動する。プフレの断固とした物言いに、シャドウゲールはなにもいえなかった。いつものプフレ、庚江とは、まるで違う雰囲気に気圧されていた。*20

 

 このあたりだったのではないかと思うんですよね……。

 ここでの「いつものプフレ、庚江とは、まるで違う雰囲気」の彼女が何を考えていたかなど、こちらからは推測するしかできません。なので100%推測想像空想ベースになるんですが、合格者=生存者が「一人」だと宣言されており、まだ試験官が自分の交渉に応じてくれるかも全くわからない状況で、プフレが「勝ち」として設定できたシチュエーションって、

 

① 試験官と交渉して合格者枠を拡張し、二人で生還する
②(①がダメだった場合)自分が最後の一人になり、シャドウゲールは切り捨てる
③(①がダメだった場合)シャドウゲールを最後の一人にする

 

 がありうるんじゃないかと思うんですね。重ねて言うことにはこれはもう手前も後も全てが妄想なんですけど。

 ただ、「百余人の中で一人しか生き残ることができない」という状況は遊園地のそれとは比較できないほど生存難易度が高いものです。死亡率99%以上のクソバカ試験です。そんな状況下で、まず「現状のままだと自分か護どちらかは確実に死ななければならない」ということに思考が行くのは自然な流れではないでしょうか。

 

 庚江は生き方も祖父に似てきている、と護は思う。迷いがなく、思案をしない。いや、思案はしているのかもしれないが、それを他人に見せたりしない。それは常に即断即決で正解を選ぶように見え、彼女の賛美者はより一層声を大きくするのだった。*21

 

 結局のところプフレはその展開を強く拒否して「二人で生還する」ことを選び取ったのですが。万が一試験官が交渉に応じてはくれなかった場合、自分とシャドウゲールのどちらが生き残るか? を想定した時にこそ、プフレは内心で、自分ではなくシャドウゲールを生き残らせること「決めた」のではないかな……と思っています。

 試験の勝ち筋を考え、もしもの場合の生存枠をシャドウゲールに与えることを選んだ時、プフレには「勝利のために積極的に他人を亡き者にする覚悟」と、「その亡き者の中に場合によっては積極的に自分も含む覚悟」の二つが求められます。あくまでも二人での生存を目指しつつ、プフレは有事のためにそういう想定をしていて、そしてその瞬間に、試験を「勝つ」ために定まった行動指針こそが、「護さえいればなんだっていい」だったのではないかと自分は考えています。

 

 この試験開幕時の「生存できるのは合格者一人、それ以外は全員死ぬ」というシチュエーションはrestartにも繋がってきます。

 プフレが想定の一つとして挙げていた「シャドウゲールが魔王だった」場合、それは「自分か護どちらかは死ななければならない」展開そのものです。プフレがrestartにて「護が魔王なら、それでも別に構わないと思っていた」という尋常ならざる思考を一切躊躇いなく平然と通し切ったのは、試験時において一度既に「やっていた」ことだったから……という可能性も考えられないでしょうか?

 

 

 殺し合い試験が開幕した瞬間のプフレって、勝利条件の設定、そしてそれに伴う勝ち筋の用意を短時間で即座に判断する必要がありました。もう試験は始まっていて、開幕5分でもうあちらこちらで殺し合いが勃発している(5分で!?)。そしてここからが一番自分が今回の感想として残しておきたいことなんですけど、先ほど「月が綺麗だ」と「護さえいればなんだっていい」の間に感じたと書いたギャップは、事実として実際にギャップだったのではないか……と思ったんですね。

 プフレの感情ってdouble shadowの間でかなりのページを割いて丁寧に書かれているんですが、それにも関わらず、シャドウゲールが生存できるなら自分の命すら擲ってもいいという思考にたどり着くまでの道筋が示されきっているとは思えませんでした。どうにもギャップを感じたそれは「描写が省かれている」のではなく、実際に本人が丁寧に思考する過程をすっ飛ばして即座に「自分か、シャドウゲールか」を判断する必要があり、そしてプフレがそれを「やった」からではないか。自分がしたかったのはそういう話です。

 

 ただ一つ強調しておきたいのは、即座に判断したから即ち浅慮だったと書きたいわけではないということです。試験でのプフレの「覚悟はできている」*22という発言も、(過程をすっ飛ばす必要があったとはいえ)嘘は言っていないだろうと思います。護が大切で、そのための犠牲だって受け入れて歩いていくという「覚悟」自体はしていたでしょうから。遊園地のプフレは、その犠牲に自分を含むところまできっちり詰め切って考えてはいなかったとは思いますが……。

 

 

 自分はどのみち、プフレが時間をかけてもう少し丁寧に感情を整理して試験に臨んだとしても、(プフレの愛着の発露がかなり独りよがりに寄ることを考慮しても)彼女の護への想いは同じ場所に行き着いていたのではないかなと空想しています。だからこの結論が間違っていたとか、本当ならこうなるはずじゃなかったとか、そういったことは積極的には思いません。

 ですがこれは、ある種の「無理をしている」姿には違いないのではなかろうか。ギャップを一気に飛び越えて決断を下すのはどうしても本人に負荷がかかります。restart初読時点から漠然と思っていたことではありますが、百人試験~restartで描かれていたプフレ/人小路庚江像は、体がまだ固まりきっていない状態で無理やり蛹を破って出てきた成体のような、環境に迫られて強制的に大人になってしまったひとのような、そういったいびつさを感じます。

 そしてそのいびつさこそが、シャドウゲールから「ひどく危なっかしい」、「いずれどこかで脱線横転することは目に見えていた」*23とされるプフレの無茶な革命急進意欲・生き急ぎ感や、シャドウゲールとの対話のなさ、そして何より百人試験ラストで契約内容を共有せず・同盟者を背後から撃ち殺すというなかなかな動きをした上で「護が庚江に殺されるかもしれないと考えているとは、彼女は思っていなかった」*24ため傷つくという、どこか視野狭窄を感じる展開に繋がったのではないかな……と自分は考えています。自分の感情を自分で処理しきれていなかったからこそ、「護がどう感じているか」という部分に意識が向かず、結果として自分が深く傷つくことを招いたのではないかと。そういう想像です。

 

 ラズリーヌの師匠は口元を綻ばせた。
「自分でもわからないことははっきりさせておいた方がいいですよ」
「そうなの?」
「そうです。痛い目を見ますから」
 師匠のいうことは大抵間違っていない。プフレが死んだのも、そういうことが原因だったのかもしれない。*25

 

 それでも、結局のところプフレは「護さえいればなんだっていい」と決めてから、QUEENSまでずっとそれを貫きました。もしかしたらその決断が必要に迫られた上で下されたものだったとしても、彼女のQUEENSでの初志貫徹っぷりがあまりにも美しかったからこそ……そこにうだうだ思うことも中々難しい。QUEENSが良すぎるのが読みに影響を与えまくっている。この話面白すぎる。

 double shadowを経てみると、QUEENSのプフレは一層……すごいです。double shadowでは「シャドウゲールが不合格になれば、当然彼女は記憶を失う。今日、ここであったことも全て忘れてしまう。何が思い出作りか」*26とシャドウゲールへの不満を隠さず、彼女が自分との些細な記憶すら「忘れてしまう」のを拒もうとしていたプフレが、QUEENSでの最後の最後には「彼女はあまり強くない」*27からと、シャドウゲールが手に掛けた自分自身の存在ごと彼女から消し去ろうとする。わ~……。

 

 何かここまで好きなだけごちゃごちゃ書いたんですけど、プフレの話をすると結局QUEENSでのこのシーンに終着します。プフレにとっては「シャドウゲールが少しでも精神的に健康でいられる可能性が高い選択肢」を即座に推定して決断した、いつも通りの即断即決だったのかもしれませんが。本人としては笑顔で死んでそこで終わりなのかもしれませんが……。当然ながら「やりたい」ことではなかっただろうというのがここで確定してしまい、読む側が完全に無為に苦しい……! 本当に無為なのが嫌!

 しかしながらプフゲルってQUEENSで「終わり」ではないんですよね。シャドウゲールは廃人ながら存命だし、最新刊ではラズリーヌ・デリュージ陣営によりまさかのホムンクルス・プフレが起動されそうな描写が挟まっていたりもする。オリジナルがああいう最期を迎えた上で、今後出てくるかもしれないホムンクルスプフレがどういう挙動をするのかなども気になるばかりです。どうなろうと苦しい予感がする。

 

 

 はい。という感じでプフレの感想は終わりです。

 いや長すぎる……。中編に書く量ではなかった。流石にもう二度とやらないようにしようと思うくらい非スマートで長い。ここまで長々書いておいてなんですが普通に自分が気持ち悪いというか、だいぶ妄想をやっている自覚があります。

 こういうのをやる度に脆い土台の上に土台を積む危険行為をしているのを感じ、せめて流れをどうにか順序立てて説明しようとすると更に文章が長くなり早口になりその結果一層気持ち悪い感じになる悪循環の中にいる。でもまあ読んだ時こう思ったという流れを記録しておきたかったので……。

 double shadowでのプフレの「月が綺麗だ」という借り物の言葉を落とし所のように見せつつ、プフレが最終的に自分の言葉で出した答えはもう一段先のところにある(のではないかと感じる)……という二回裏返るような面白さはかなり楽しく気持ちが良く苦しいものでした。この気持ちよい感覚を上手く説明できているか本当にわからない。過去一番わからない。感想における結論としてはプフレへの好きがまた更新されました。大好きです。

 

 次回は原作小説でのシャドウゲールの感想です。絶対に今回よりは短いんですが絶対に今回よりわからない度が高い。ではまた次回。

 

*1:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.30)オッドエンタテインメント

*2:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.75)オッドエンタテインメント

*3:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.94)オッドエンタテインメント

*4:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画restart(後) p.230 宝島社,2019.8.23(ebook

*5:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.103)オッドエンタテインメント

*6:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.73)オッドエンタテインメント

*7:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.51)オッドエンタテインメント

*8:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.22)オッドエンタテインメント

*9:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.91)オッドエンタテインメント

*10:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.89)オッドエンタテインメント

*11:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画restart(後) p.147 宝島社,2019.8.23(ebook

*12:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.45)オッドエンタテインメント

*13:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.22)オッドエンタテインメント

*14:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.22)オッドエンタテインメント

*15:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.104)オッドエンタテインメント

*16:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.102-103)オッドエンタテインメント

*17:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画restart(前) p.217 宝島社,2019.8.23(ebook

*18:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画JOKERS No.114 宝島社,2019.8.23(ebook

*19:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画restart(後) p.229-230 宝島社,2019.8.23(ebook

*20:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.107)オッドエンタテインメント

*21:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画restart(前) p.218 宝島社,2019.8.23(ebook

*22:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.106)オッドエンタテインメント

*23:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画ACES No.55-56 宝島社,2019.8.23(ebook

*24:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画restart(後) p.150 宝島社,2019.8.23(ebook

*25:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画QUEENSp.276 宝島社,2019.8.23(ebook

*26:遠藤浅蜊魔法少女育成計画double shadow」原作小説 (p.55)オッドエンタテインメント

*27:遠藤浅蜊 魔法少女育成計画QUEENSp.270 宝島社,2019.8.23(ebook