すふぉるつぁんど

主に遠藤浅蜊著「魔法少女育成計画」シリーズについて書き残していくブログです。

まいにち魔法少女号外:森の音楽家クラムベリー(二回目)

アニメ6話見ました。感想については後日。というわけで。

本日のまいにち魔法少女(まいにちではない)は森の音楽家クラムベリーです。原作全巻分範囲のネタバレ要素があります。

 

原作のクラムベリーさんについて書いており、当然ながらアニメ世界の彼女とは一切関係のない記事です。アニメ展開の果てで全然違う感じで死んでも驚かないぞ。コミカライズもそんな感じに色々でしたし。

 

 

森の音楽家クラムベリーについては、一度記事を書いてはいるのですが。

魔法少女について二度書くと絶対にキリがなくなるのでできればやらないようにしようと考えてはいたのですけど、それでも音楽家について考える頻度があまりに高かったので追記として雑感を。

やってしまった。これきりにしたい。

 

mgrp.hatenablog.com

 

こちらの記事を前提の文章として、そこに書き足していきます。

テーマとしては、時々見かける、「森の音楽家クラムベリーは強者との戦闘を求めている癖に魔王塾に留まらず試験官になって初心者狩りを繰り返した弱者を甚振るのが好きな小者」という言説についての色々かなあ。

 「ここからこう読みました」という主張が強めなので引用文祭りです。

 

 

えーと、音楽家を書くにあたって最初に明記しておくべきどうしようもない事実。

音楽家は魔法少女に選ばれた段階で既に精神が壊れています。

 

ひょっとすると事故にあった時に、自分の中の何かが壊れてしまったのかもしれないと思う。だがそれでもなんら問題は無い。

クラムベリーは魔法少女の平均より年嵩な外見年齢ではあるものの、中身は初めて会った時のままだ。

 

有体に言ってしまえば九歳の状態で精神が止まっている。ので、ウィンタープリズンとまともに殴り合えただけで「恋する乙女そのものかもしれない」なんて独白を漏らしています。ばかっぽい。音楽家はばかです。それはただただ事実。

 

 

で、その大きな子供の音楽家(外見年齢二十歳以上)が何を望んで過去に「魔王塾」に入塾したかと言えば、速攻で人事部門に入って試験官になるためです。何故試験官になろうかと思ったかといえば、従来の「魔法の国」の選抜試験に対して強いショックを受けたからです。

本当にショックだったのは、この体験があくまでも事故でしかないと教えられた時だ。本来こうあるべきだと見せてもらった選抜試験はあまりにも生ぬるく、かったるく、だるかった。脱落者が照れ笑いし、勝者が皆から祝福される。そうじゃないだろうと思った。違うだろうと思った。取り返しのつかない大切なものを奪い合い、殺し、殺され、その結果残った者が選ばれるべきだ。

 

そうしてクラムベリーは、魔王に認められて試験官への足掛かりをつかみます。

 

「あのまま魔王塾にいようとは思わなかったぽん?」

「あそこも楽しそうではありましたが」

「まあ楽しそうだったぽん」

「あなたと一緒の方がより楽しそうだったものですから」

 とは「魔王を討伐したいから」でのふたりの会話。

クラムベリーは魔王塾で己に類する強敵と殴り合っていく道を選びませんでした。恐らくはきっともっと手応えの無い相手が多いであろう「試験官になって強敵を探して挑戦する」という回りくどい道の方をよほど「楽しそう」だと見做しています。ここですよね、音楽家の面白いところ。

 

 

ここについて。ここを「クラムベリーが確実な強敵から逃げた小者」と読むことは、まあうーんやろうと思えばできなくもないのですが。しかしそうじゃないんじゃないかなと個人的には思います。弱者を甚振ることを好んでいるか否かについてはあまりにもあまりなので省きます。

 

 

彼女が強敵を避けたのだと考えない理由は二つ。

一つにはやはりそんな小者な魔法少女に惹きつけられるピティ・フレデリカではないだろうという、ピティ・フレデリカへの圧倒的な信頼。これはまあ話半分で。

今はスノーホワイトが好きだ。スノーホワイトの前は森の音楽家クラムベリーが好きだった。彼女の髪を愛で、その生活を覗き見し、彼女のしていることに好奇心を刺激された。どれほど意味があるのかと思って何度か彼女の試験を真似てみた。

 ここの引用文で面白いところ。フレデリカは殺し合い試験の価値についてはクラムベリー本人と共有できていないんですよね。「どれほど意味があるのか」と考えながら真似事をしているほどですから。

 

 

もう一つ。これが一番強く思っている理由なのですが、森の音楽家は「試験」に対して強く執着していたからこそ、魔王塾に留まることを避けたのではないかなあと思います。

 

「強い敵と戦いたい」と同じくらい、もしかしたらそれ以上に。彼女の心には「従来の選抜試験が気に食わないから自分が望む試験を行う」という強い意思があったはずなのです。

彼女の始まりは「強敵と戦い、それを打ち倒すカタルシス」と「本来の生温い選抜試験への強いショック」の二つです。どちらもがきっかけなんだと考えます。前者だけだったのなら、クラムベリーはあのまま魔王塾に居たのではないかなあと。

 

 

さてここからもう一つ追記で。クラムベリーがどれほど拗れた状態で試験に対して執着していたのかという話なんですけど。

端的に言うと、彼女は最初から最後まで「試験官」ではなかったんだと思います。森の音楽家クラムベリーは、死ぬまでずっと永遠に、自分が受けた最初の試験の中に居たんじゃないかなあ。

 

相手が強いことは大前提だ。相手の命を奪うという共通の目的を持ち、文字通り命を賭して行為に向かう。その時だけは一人ではない。血を流し、肉を削ぎ、臓物をこぼし、それでもお互いを理解し合えている。だがそこに至るためには、相手が強くなければならないのだ。一蹴してしまえるようではコミュニケーション足りえない。

 

「謙遜も卑下も必要ありません。私にはその事実があればよいのです。貴女が強い魔法少女であるからこそ、私が貴女に挑戦する意味がある」

 

強い相手があがき、苦しみ、それでもクラムベリーに打ち滅ぼされる。クラムベリーはぎりぎりで凌ぎ、勝利する。クラムベリーが勝ち残っては、強者を選別するという目的に反しているのだが、力量差も見抜けずクラムベリーに粉をかけてくる間抜けが悪い。

昔を思い出す。これで地下室の悪魔を撃退したのだ。あの時の快感が忘れられない。忘れられないからこそ今でもこんなことをしている。

 

嫌いなもの:弱い魔法少女、しつこい愚痴、悪魔

 

このあたりを引っ張ってきたんですけど、クラムベリーは素で「自分が挑戦する立場である」と考え、「強者を打ち倒すことで過去の追体験をして陶酔に浸る」ことを望み、強者と戦っているその時にのみ、クラスメイトが一人また一人と潰され、溶かされ、捏ねられ、砕かれていった記憶を有しながら「一人ではない」と感じています。

 

きっとこんな感じの描写に散見されるように、心がどこかでまるきり過去に置き去りになっていたからこそ、クラムベリーは子供っぽく、闘争が好きで、そのうえで試験官になったのではないだろうかと思います。

 

過去に心が焼き付いたままで、過去の再現を望む音楽家にとっては魔王塾での血沸き肉躍る殴り合いよりも、かつてと同じ弱者が排除され強者が選別される場に身を置くことのほうが余程やりたいことだったのではないだろか。それは打算的な「初心者狩り」を望む心などではなく、もっとずっと誰にもどうしようもない感じの行きつき方だったんじゃないかなあ。言ってて自信が無くなってきました。

 

 

だからこそだからこそ、彼女は自分を試した存在、自分を壊した存在であるところの「悪魔」に最後までなりきれずに死んでしまったのではないか、スイムスイムを殺すことに躊躇い、そんな自分に動揺して死に至ってしまったんじゃないかなあとそのあたりは上記記事に書いてしまったので省略するんですけれど。

少なくとも自分は、「森の音楽家クラムベリー」のことをそういう目で見ています。

 

 

 

文字数も「まいにち魔法少女」上限的にいい具合ですし、そういう意思表示はそこそこにするとして以上です。

 

追記:まほいく記念本のマルイノ先生書き下ろしクラムベリーさん滅茶苦茶かわいかったです。