restartコミカライズの載ってるコンプエース発売日まであと1日となりました。わくわくどきどきですとても。restartがどういう風に漫画の形として翻訳されるのか、そしてくるくる動き回る魔法少女達がどれほど可愛いのか、その辺にばっちり注目していきたいです。
今日の無印コミカライズ感想は10話。自分が7話の次かそれと同じくらいに好きな回です。色々と見所盛り沢山。ここは本当に言いたいことが多すぎて、ちょっと長くなりますががんばります。
前話:
はクラムベリーVSスイムスイム・ミナエル・たま戦が幕を開け、そしてミナエルが殺されました。却って足手まといなたまは一端撤退し、全力クラムベリーVSスイムスイムが始まるぞというところまで。
EPISODE:10感想
コミカライズ版クラムベリーちゃんが派手に死ぬまでの過程を追っていく形になります。
全身を水化するのは長く持たないので次の一撃で決める、というスイムスイムの思考は実に自然。いえ、原作には「全身の水化は長くはもたない」という設定は存在しないんですけど(そもそも自分自身を水化するのではなく、あらゆる物体を「泳ぐ」魔法ですし)、
スイムスイムの次回予告風自己紹介における言葉「息が続くまで潜ればいい」を思い出して説得力を感じます。
クラムベリーの魔法が自分に致命的なまでに作用することを知らないため、懐に入って勝負を決めようとするスイムスイム。
思い出すのはルーラ様のお言葉。いやあコミカライズでルーラ様にまた会えてよかった。スイムスイムの魔法を「ネタバレしたらそれまでの、どうあっても失敗できないもの」と断じるその言葉を胸に地面からクラムベリーに突撃しにいきます。
「痴れ者が」というセリフは本当に本当にあークラムベリーちゃんはお馬鹿だなあという感じで好きです。
地中に居るなら「次で決める」のお言葉通り、斜め上方に腕を向けてさえ地中まで吹っ飛ばせる後発の大技で決めればよかったじゃないですか!?
ともあれスイムスイムは目論見通りクラムベリーの胴体に潜り込み、(地盤を巻き上げられるのならここで実体化してテプセケメイよろしく中身を吹っ飛ばせばいいのではないかという邪推はともかくとして)ルーラを召喚し(コミカライズスイムスイムはルーラごと地中に潜れるんだから召喚の手間を省いて最初から持ってた方がいいのではという邪推はともかくとして)、クラムベリーはその攻撃をルーラの声で呼びかけることでストップをかけ、殴りつけてスイムスイムから(1m程)距離を稼いだところで破壊音波をぶっ放します。
轟音と共にスイムスイムは吹っ飛ばされ、でも意識は保ってて(クラムベリーさん「次の一撃で決める」)、「相殺できまい」という素敵ワードと共に駄目押しのもう一発でスイムスイムを(今度こそ)気絶に追い込みます。
ここで初お披露目のところの坂凪綾名ちゃん。制服で帽子を被っているところを見るに私立学校の子なのかな。
育ちがよさそうだなあと思います。ドラマCD特典の短編で親に習い事を選ばせてもらえてたし、資産家三条合歓の家の近くに住んでたりなど、以前からいいとこの子オーラは出てましたが。
瓦礫の中で倒れるその少女を見下ろして踏みつぶそうとする足を止めるクラムベリーさん。
綾名ちゃんのこの無傷具合を見るに、やっぱりコミカライズ世界では魔法少女時の致命傷以外の損傷は人間時に影響しないのかもしれない。
「こんな子供があれだけのことを成し遂げたのか」「生かして育てれば私のように―…」
ここ!
ここは……ここは、原作で「クラムベリーの子供」を量産するだけ量産しておいて、現状誰一人として育成しようとした気配さえ見せないネグレクトの鬼こと森の音楽家クラムベリーにあるまじき、「魔法少女を育てようとする心」をコミカライズクラムベリーさんが見せてくれたシーンです。
衝撃です。とても衝撃です。コミカライズクラムベリーちゃんには母性があった(とても語弊のある表現)!
この描写を見て初めて、自分は原作のクラムベリーさんに、人を育てようとする精神が全くないことに気付きました。コミカライズクラムベリーちゃんはもしかするとメルヴィルちゃんにもっと優しかったかもしれません。かわいい。
そんな余計なことを考えてた結果、クラムベリーちゃんは正面からやってきたたまに腹を掠られて死にます。
「チッ」「戻ってきたか!犬が…!!」「みみずばれ程度の傷しかつけられない小物が…!」「墓穴は掘り終わっているんでしょうね!?」
はーー語録オンパレード。コミカライズクラムベリーちゃんの最期の言葉は「墓穴は掘り終わっているんでしょうね!?」です。そして直後にたまに大穴掘られて内臓を垂らして倒れます。はーー最高。
面白いと言うだけではなく。
コミカライズでのクラムベリーさんの在り方って、このうえなく一本筋が通ってるんですよね。
つまらなさそうだったり楽しそうだったり、表情がとても豊かで、戦闘馬鹿で、ちょっとだけ頭の巡りが悪くて、たまの魔法の応用にも気付かないくらいにアレな子。
捻くれてねじ曲がって、「大人の形をした子供」であったところの原作のクラムベリーさんと対を為すような、鮮やかで頭身が低めで、誰かを育てることを思いつけるやわらかい心があるような「子供」のコミカライズクラムベリーちゃんです。
いやー最期の最期まで楽しかった。たまの魔法のシーンは、地の文が重要なので、漫画の形にするとどういう風にしても野暮ったくなってしまうんじゃないかと1巻読了時に思ってたんですけど、こういう形で鮮やかに決着させるのはなるほどという感じ。
クラムベリーちゃんは見ていてとても楽しかったです。ありがとうございました。
そして――ジャイアントキリングを達成したところのたまは可哀想に、ルーラの約束を忠実に守るスイムスイムにクビヲハネラレて脱落です。綾名ちゃんを介抱するたま、とても可愛かった。
べそべそ泣いてるたま、「これからもともに歩んでいく仲間だとそう思っていた」と振り返るスイムスイム、新しいマスターに任命されてびっくりするたま、中身が小学生であることを知ったためか、子供に向けるような柔らかい微笑みで、スイムスイムに「ね?」と笑いかけるたま、どれもこれもとてつもなく良い表情だと思います。しみじみと。
コミカライズのたまは本当に純粋に可愛らしくて良かった……
そんなこんながありまして生存者はめでたく三名に。
場面が変わって1人きりのスノーホワイトとリップルのシーン、ここからも必見の素晴らしい場面です。コミカライズリップルの在り方としての集大成です。
トップスピードの敵討ちにスイムスイムを殺すと言うリップルが「それはもう魔法少女じゃない、ただの人殺しだよ」とスノーホワイトに制止され、私はもう人殺しでかまわないと言い切る――まではほとんど同一の流れなのですが。
怒ることに怯えていた過去、正しい魔法少女であろうとした過去、そのどちらもを投げうって、無二の相棒・トップスピードの敵討ちに乗り出すリップルの、一つ山を越えてしまったような表情が苦しい。
この段階に至ってコミカライズリップルは、自分の怒りの感情を攻撃力に転化することを会得しているような気がします。怒りを使いこなしているというか。これもまた成長なのかな……。
「誰かの願いのために生きるくらいなら自分の望みのために死ぬ」というリップルの言葉は、ハードゴア・アリスの願いだけを縁に魔法少女であろうとしているスノーホワイトにはすごく突き刺さるんじゃないかなあ。この言葉はリップルの本心なのでしょうが。
泣き崩れるスノーホワイトを前にして、復讐者となっても尚コミカライズリップルの持つ優しさがふと顔を出します。
原作では思いのままに「あなたには憧れていた」「魔法少女にはなりたかった」と言い切るリップル。それはスイムスイムを相手取って、殆ど死ぬ気のリップルから告げられる言葉としてはスノーホワイトには重すぎるものです。呪いと言ってもいい。
コミカライズでも、リップルがスノーホワイトに憧れていることは変わらないのですが――、自分が死にに行くということを理解した上で、彼女はその憧れを、魔法少女でありたかったという自分の本心を、全て心の中に飲み込んでスノーホワイトに嘘を吐きます。
「憧れだけでなれるものじゃない」
「私はずっとあなたのような魔法少女に憧れていました」
「魔法少女なんていなくていい」
「本当はこんなことを言いたいわけじゃない」
「私がこれからすること 今まで起こったこともすべて忘れて 魔法少女を辞めてください」「この…町から 魔法少女はいなくなります」
「それでもあなただけは 私の心の中でずっと魔法少女であり続けるから」
あー。良い。本当に良い。コミカライズの「怒れないリップル」としての、スノーホワイトの魔法の特性を生かし切った形での最大のアンサーであり、
原作の「怒れるリップル」が、どれほどトップスピードの仇を討つことに意識を引き絞っていたのかということに気付かされる、素晴らしい一幕だと思います。どちらも良いし、どちらもリップルなんですよね。あーー良いなぁ……。
リップルについては本当に、コミカライズ世界上の存在としても掘り下げが深くて感嘆すると共に、原作について再認識することも多いのが素晴らしいとしか言いようがないのです。ここは今見ても唸らされる。
というシーンにより10話は終了。次回11話、堂々の最終回です。
「スノーホワイトを消さないで」と亜子に手を伸ばされ、「魔法少女をやめてください」とリップルに願いを伝えられたスノーホワイトがどう動くのか。あー楽しかったです。コミカライズ感想を書いてたらrestartのコミカライズが始まる幸せ。明日もお付き合い頂けたらよろしくお願いします。